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黒船のペリー

今日4月10日は、アメリカ海軍の軍人で、1853年に軍艦をひきいて浦賀沖に来航、江戸幕府に開国をせまったペリーが、1794年に誕生した日です。

1853年7月、江戸(東京)に近い浦賀沖を走る4せきの船を見て、人びとはびっくりしました。まっ黒なけむりをはき、大きな水車のような輪をぐるぐるまわしながら、波しぶきをあげて走ってきたからです。「黒船きたる!」。とどろく砲声に、江戸の町は大さわぎになりました。

アメリカからこの艦隊をひきいてきた、総司令官がペリーでした。ペリーは、15歳のときから海軍生活をおくり、アメリカ海軍に蒸気船をいち早くとり入れた軍人です。そのため「蒸気海軍の父」とよばれたほど、時代の流れを鋭くみぬく眼をそなえていました。色黒で二重あごの大男でした。からだが大きかっただけでなく、人をおさえつけるいげんがあったので、部下はひそかに巨人(タイタン)とあだ名していました。

当時のアメリカは、清国(中国)と通商条約をむすんで、貿易をはじめていました。アメリカから清国へ行くには、大西洋からインド洋をまわるより、太平洋を横断するほうがずっと便利です。それには、食料や燃料を日本の港で補給しなければなりません。

ペリーは、日本の国情をしらべ、アメリカ政府に意見書を出しました。その意見書に動かされた議会は、鎖国をしていた日本に開国をうながそうと決議し、ペリーを派遣しました。

「私は、アメリカ大統領の親書を持ってきた。どうしても受けとらないならば、将軍に直接談判する」

ペリ−の要求を受けた江戸幕府は、うろたえながらも相談した結果、親書を受けとることになりました。ただし、返事はあとにのばし、ひとまず帰国してもらうことが条件でした。

「こんどこそ幕府の承諾をとってやる。もし拒否したなら力ずくでもこちらの要求を通してみせるぞ」

よく年2月、7せきの大艦隊をひきつれたペリーが、ふたたび日本にやってきました。大艦隊は、会見予定地にあてられている久里浜港で待機していましたが、幕府の返事がおくれていることに腹をたてて、さっさと品川沖までのりこみ、いまにも上陸しそうな気配です。

これに対抗する力のない幕府は、1854年3月、ペリーの要求にくっして、下田港と箱館(函館)港を開港することを約束した日米和親条約を結びました。こうして、200年以上もつづいた鎖国は幕をとじ、日本は開国の第一歩をふみ出しました。ペリーは、そのご、日本に関するおおくの書物を残して、1858年3月に亡くなりました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)30巻「渡辺崋山・勝海舟・西郷隆盛」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「ペリー」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「4月10日にあった主なできごと」

593年 聖徳太子が摂政… 聖徳太子 はこの日、推古天皇を即位させ、自ら天皇に代わって政治をおこなう「摂政」に就任しました。

1946年 初の女性議員…この日、日本ではじめて女性が参加した衆議院議員選挙が行なわれました。この選挙の女性投票率は67パーセントをこえ、女性立候補者82名のうち39名が当選をはたしました。

1952年 「君の名は」放送開始…NHKは、連続ラジオ放送劇「君の名は」(菊田一夫作)を、この日からスタートさせました。放送開始から爆発的な人気を呼び、銭湯の女湯がガラ空きになるほどの社会現象をひきおこしました。

1959年 皇太子結婚…皇太子明仁親王(現在の天皇)がこの日結婚。皇太子妃となる正田美智子さんが、民間から初の妃ということで慶祝熱が高まり、ご成婚パレードには美智子妃を一目みようと沿道に53万もの人がつめかけるなど、日本じゅうが「ミッチーブーム」にわきたちました。

投稿日:2009年04月10日(金) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)