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「たけくらべ」 の樋口一葉

今日3月25日は、家族を養うために貧しさと苦闘しながらも「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」などの名作を残し、わずか24歳で亡くなった樋口一葉(ひぐち いちよう)が、1872年に誕生した日です。

樋口一葉は、明治の初めに、東京で生まれました。父は身分の低い役人でした。本名を奈津といった一葉は、幼いときから、ものおぼえのよい、本のすきな少女でした。2歳のころ、兄たちが新聞を読むのをまね、6歳のころには『南総里見八犬伝』という長い歴史物語を読んで、家族をおどろかせたと伝えられています。

小学校での成績は1番でした。しかし「女は、学問よりも、家事や裁縫などを習うほうがよい」という母の考えで、卒業まえにやめさせられてしまいました。このとき一葉は、母をうらんで、死ぬほど悲しんだということです。

14歳のとき、歌人の中島歌子が開いていた萩の舎塾で学ぶことができるようになりました。一葉をかわいそうに思った父が入れてくれたのです。萩の舎にかよってくる人は、身分の高い役人や貴族の家庭の女がおおく、小学校も満足にでていない一葉は、いつも、いやな思いにたえなければなりませんでした。しかし、勝ち気な一葉は人いちばい努力をつづけ、和歌では、塾の歌の会で最高点をとるほどになりました。

ところが、塾で学び始めて3年めに、役人をやめたのち事業に失敗してしまった父が亡くなり、17歳の一葉が、母と妹を背負って、生きていかなければならなくなりました。

「小説家になろう。なんとかして貧乏からもぬけださなくては」

貧しさにおしつぶされそうな一葉が、このように決心したのは、それからまもなくです。萩の舎塾で学んでいた年上の田辺竜子が、はなやかに小説家の道へ入っていったのを見て、一葉の心が大きく動いたのだといわれています。

一葉は、新聞記者の半井桃水をたずねて、まず小説の書きかたから教わり、早くもつぎの年から『闇桜』などの作品を発表していきました。でも、小説だけでは、とても生活できません。

21歳になった一葉は、母と妹をつれて下谷竜泉寺町の長屋へ移り、ささやかな雑貨商をいとなみながら、小説を書き始めました。また、この土地で、たくさんの貧しい人びと、悲しい人びとにふれ、人間のほんとうの心を見る目を育てていきました。

しかし、一葉が、この世に生きたのは、それからわずかに3年でした。下町の子どもたちをあたたかく、美しくえがいた『たけくらべ』のほか、暗い運命にひきずられる女たちの苦しみをつづった『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』などを書き残すと、1896年、24歳の若さで、結核におかされ、永い眠りについてしまったのです。線香花火のような、もの悲しい生涯でした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)34巻「夏目漱石・野口英世」の後半に収録されている14編の「小伝」の一つ 「樋口一葉」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。

なお、『たけくらべ』をはじめ一葉の作品17編 は、オンライン図書館「青空文庫」で読むことができます。また一葉の肖像は、2004年11月から、新渡戸稲造 に代わり、五千円札に採用されました。


「3月25日にあった主なできごと」

1878年 初の電灯…この日中央電信局が開設され、その祝賀会でわが国初の電灯としてアーク灯が15分ほど灯りました。ただし、一般の人が電灯を見たのは4年半後に銀座通りにアーク灯がついてからでした。一般家庭で電灯がつくようになったのは1887年11月のことです。

1957年 EECの結成…EEC(ヨーロッパ経済共同体)は、この日、フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク6か国の代表がローマに集まって、結成するための「ローマ条約」を結びました。1958年1月からEECは正式発足しましたが、その経済面での発展はめざましいもので、ヨーロッパ経済の中心となるばかりでなく、EC(ヨーロッパ共同体)、さらにEU(ヨーロッパ連合)となっていきました。EUの加盟国は、2007年1月にブルガリアとルーマニアが加盟したことにより現在27か国。EUを単一国家とすると、GDPはアメリカ合衆国を上回って世界第1位となっています。

投稿日:2009年03月25日(水) 09:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)