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自動車の父・ダイムラー

今日3月17日は、ドイツの技術者で、自動車開発のパイオニアと讃えられるダイムラーが、1836年に生まれた日です。

自動車の研究は、いまからおよそ400年くらいまえから、ヨーロッパで始められました。でも、自動車といっても、初めは帆かけ船のように帆を張って、風の力を利用して走るものです。そのつぎは蒸気や電気の力で走るものでした。ガソリンエンジンの自動車があらわれたのは19世紀末になってからのことで、その発明者が「自動車の父」ゴットリープ・ダイムラーです。

ダイムラーは、1834年に、ドイツ西部で生まれました。

パン焼きの職人だった父は、むすこを、役人にしようと考えていました。ところが、ものを作ることがすきだったダイムラーは、自分からすすんでかじ屋ではたらきながら、苦学をして、30歳ちかくになってから、工芸高等学校を卒業しました。

外国へも行って機械製作の技術者として、うでをみがいたのち、38歳のときに、ドイツの技術者オットーのエンジン工場に、職工長としてむかえられました。しかし、オットーの開発した、大型で回転のおそいエンジンでは役に立たないと考え、やがて、自分で自動車工場をたてました。そして、小型で回転の早いエンジンの研究を始めたのです。

「自動車で、人間を、もっと自由に、どこへでも……」

1883年、1分間に約900回も回転するエンジンを作り、1885年に、これを木製の2輪車に積んで走らせました。世界で初めてのオートバイです。スピードは1時間に12キロメートルでしたが、それでも人びとは、その早さに目を見はりました。そして翌年には、さらに改良したエンジンを、馬が引いていた4輪車にとりつけ、時速18キロメートルで走らせるのに成功しました。ガソリンエンジンで走る自動車の輝かしい誕生です。

1894年にパリで開かれた世界最初の国際自動車レースで、ダイムラーの自動車がみごとに優勝して、世界の人びとは、ガソリンエンジンで走る自動車のすばらしさを知りました。

しかし、ダイムラーはそれから6年ののちの1900年に、世界じゅうが自動車でいっぱいになる日を夢見ながら、66歳の生涯を終えました。

ダイムラーが残した工場は、そのごベンツの工場と合併してダイムラー・ベンツ社となり、いまも、世界でもっとも古い自動車会社を誇っています。(1998年にダイムラー・クライスラー社、2007年にダイムラー社となりました) ダイムラーは、大科学者ではありません。しかし、機械に親しむ心が、大きな発明を生みだしました。日本で初めてガソリンエンジンの自動車が作られたのは、1907年のことでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)11巻「ナイチンゲール・シュリーマン・パスツール」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「ダイムラー」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「3月17日にあった主なできごと」

1220年 サマルカンド征服…この日、モンゴルの征服者 チンギス・ハン は、インドから黒海に至る交通路を占めホラズム・シャー朝の首都(現・ウズベキスタン)として繁栄していたサマルカンドを徹底的に破壊し、数十万という人口の3/4が殺されました。

1945年 硫黄島玉砕…2か月ほど前から小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じていた戦闘は、この日、アメリカ軍は猛爆を加え、日本軍は守備兵力2万余名のほとんどが戦死、アメリカ軍に島を奪取されてしまいました。このため、アメリカ軍は日本本土空襲のの理想的な中間基地を手に入れ、東京大空襲(1945年3月10日)、名古屋大空襲(12日)、大阪大空襲(13日)を続けざまに実施、日本軍は、勝ち目のほとんどない絶望的な本土戦を余儀なくされました。

投稿日:2009年03月17日(火) 09:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)