今日3月16日は、オランダの商船リーフデ号に乗ったウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針[みうら あんじん])が、1600年に日本に漂着した日です。
ウィリアム・アダムスは、イギリスの造船のさかんな町に生まれ、造船技術を身につけて、イギリス艦隊の船長として従事したのち、オランダに渡って、1598年、5隻からなる東洋遠征船隊に水先案内としてリーフデ号に乗船しました。ところが、航海はとても厳しいもので、太平洋を横断中に船団はちりぢり離れになり、リーフデ号だけが、この日、大分県臼杵市付近の海岸に漂着しました。
このことは、当時大坂(大阪)にいた徳川家康に知らされ、家康はリーフデ号を大阪に回航させました。アダムスは、船長の代理で大阪城へおもむき、家康と会いました。リーフデ号を海賊船だと思いこんでいた家康は、アダムスが「オランダ本国の命を受けて、平和な貿易をするために来日したのであり、布教が目的ではない」ことを知り、幾度かにわたって引見を繰りかえしたのちに釈放、江戸城に招きました。そして、アダムスが世界情勢の分析から、地理、天文、数学や測量、航海や造船などについての広い知識があることを知った家康は、外交顧問にとりたて、日本橋へ屋敷までも与えたのです。
やがてアダムスは、船大工としての経験を買われて、西洋式の帆船を建造することを要請され、1604年に80トンの帆船を建造。できばえに感心した家康は、さらに大型船の建造を指示、1607年には120トンの船舶を完成させました。
この功績をたたえた家康は、帰国を熱望するアダムスを引きとめるため、250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したばかりでなく、三浦半島の浦賀付近に所領を与え、三浦按針と名乗らせました。(三浦半島の「三浦」、水先案内の「按針」からとられました)
しかし、家康の保護のもとに政治や外交に力をそそぎ、何度となく帰国を願い出ましたが、家康はこれを許さず、やがて1916年に家康が死去して2代将軍秀忠になると、鎖国も厳しくなり、1920年に平戸でさびしく56歳の生涯を閉じました。
「3月16日にあった主なできごと」
1934年 国立公園…日本で初の国立公園が指定されました。この日指定されたのは、瀬戸内海、雲仙、霧島の3か所で、その後次々に指定されたり、地域が広がったり、現在は、次の29か所です。阿寒、大雪山、支笏洞爺、知床、利尻礼文サロベツ、釧路湿原、十和田八幡平、磐梯朝日、陸中海岸、日光、富士箱根伊豆、秩父多摩甲斐、南アルプス、小笠原、尾瀬、中部山岳、伊勢志摩、上信越高原、白山、吉野熊野、山陰海岸、大山隠岐、足摺宇和海、雲仙天草、霧島屋久、阿蘇くじゅう、西海、西表石垣、瀬戸内海の各国立公園。なお、2007年8月に日光国立公園から尾瀬地域を分離し、周囲を新たに編入する形で尾瀬国立公園が新設されたのが一番新しいもので、これは1987年の釧路湿原国立公園以来20年ぶりの新設でした。