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ソ連の基礎を築いたスターリン

今日3月5日は、ソ連の独裁者、共産党指導者、首相、大元帥として活躍したスターリンが、1953年に亡くなった日です。

ヨシフ・ビサリオノビッチ・スターリンは、1879年に、黒海に近い小さな町で生まれました。父は、靴職人でしたが、家はいつも貧しく、母も、よその家のよごれものを洗う洗濯女として、はたらいていました。

11歳のときに父を亡くし、やがてスターリンは、信心ぶかい母にすすめられて、神学校へ進みました。しかし、おおくの本を読むうちに革命運動にくわわるようになり、神学校は卒業まぎわに追いだされてしまいました。ソ連を、まだロシアとよんでいたこのころは、国は皇帝や貴族に支配され、社会革命など、とてもゆるされない時代だったのです。

「労働者の自由を守る、社会主義国家を建設しなければだめだ」

警察の目をかくれて、社会主義者への道をつき進みはじめたスターリンは、何度捕えられても、牢獄をぬけだして、活動をつづけました。

1917年、歴史に残るロシア革命がおこって皇帝がたおされ、マルクス主義者レーニンによって、新しい社会主義政権がうちたてられました。そして5年後には、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が生まれました。世界で初めての、社会主義国家です。

スターリンは、レーニンにみとめられて、共和国連邦をささえるソビエト連邦共産党の書記長に任命され、国の政治に大きな力をもつようになりました。

1924年、レーニンが死にました。スターリンは、政府内の反対者をことごとくおさえて、レーニンのあとをつぎました。いよいよ、スターリン時代の幕開けです。

「われわれは、先進諸国に、50年も100年もたちおくれている。このおくれを、10年で、とりもどさなければならない」

スターリンは、近代国家の建設をめざして立ちあがりました。そして、5年計画で工業の大発展をなしとげ、さらに、農業の機械化も実現しました。1936年には新憲法をつくり、労働者と農民を中心にした社会主義国家のきそをかためました。

そのごのスターリンは、第2次世界大戦を、ロシア民族の栄光を守るための「大祖国戦争」と名づけて戦いぬき、戦勝後は外交にも大きな功績をのこして、1953年に74歳の生涯を閉じました。亡きがらに光っていたのは、大元帥の肩章でした。

スターリンは死後、フルシチョフのスターリン批判など、スターリンによる独裁時代の政治姿勢は、たくさんの共産主義者から非難されることになりました。しかし、ソ連建設の偉大さは、いまもかわりなくたたえられています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)16巻「アムンゼン・チャーチル・シュバイツァー」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「スターリン」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「3月5日にあった主なできごと」

1929年 山本宣治の暗殺…山本宣治は大正・昭和初期の政治家で、山宣(やません)の愛称で親しまれていました。1928年に第1回普通選挙が行われた際、宣治は共産党系の労働農民党から立候補して当選しました。ところが、田中義一内閣は、全国千数百人もの労働農民党員を捕らえ、党の解散を命じたばかりでなく、共産主義者は死刑・無期刑にするという治安維持法の改正をくわだてました。宣治は敢然と反対を叫びましたが、この日改正案が衆議院を通過しました。そしてこの夜、宣治の宿泊先に右翼を名乗る男が押しかけ、宣治の胸を刺したのです。

投稿日:2009年03月05日(木) 20:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)