児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「レ・ミゼラブル」 のユゴー

「レ・ミゼラブル」 のユゴー

今日2月26日は、フランス文学史上屈指の名作といわれる『レ・ミゼラブル』を著わした作家のユゴーが、1802年に生まれた日です。

たったひときれのパンをぬすんだために、19年も牢獄に閉じこめられたジャン・バルジャンは、社会へのはげしいにくしみをいだいて、牢をでてきます。ところが、慈悲ぶかい神父にさとされて心を入れかえ、社会の不幸な人びとへの愛に自分をささげて、清らかに死んでいきます。これは、フランスの小説家ビクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』の物語です。

ユゴーは、東フランスのブザンソンに生まれ、10歳をすぎるとパリで教育を受けました。ナポレオン軍の将軍だった父は、ユゴーを軍人にすることを願っていました。しかし、ユゴーは何よりも文学を愛する少年でした。とくに、早くから詩にしたしみ、いくつかの詩のコンクールで賞を受けると、20歳のときには詩集を出版して名を高めました。

ユゴーが、自分の作品をとおして最も強く社会へうったえようとしたのは、人間の自由でした。そのため、詩集につづいて発表した戯曲には、考え方の古い役人から上演禁止を命じられたものもありました。しかし、ユゴーは屈しませんでした。

戯曲『エルニナ』では、人間が自分の理想に向かって生きることのすばらしさをたたえました。小説『死刑囚最後の日』では、人間の命の尊さを語り、死刑反対をとなえました。また、歴史小説『ノートル・ダム・ド・パリ』では、むすばれない恋をえがきながら、欲望にとらわれた人間の罪をいましめました。

ユゴーは、30歳のころからおよそ10年のあいだ、人間への愛にもえた詩、戯曲、小説を書きつづけました。ところが、40歳をすぎてからの10年は、娘に死なれた悲しさと、上院議員にえらばれて政治にかかわるようになった忙しさから、ほとんど筆をとりませんでした。

1851年には、イギリス海峡の小さな島へ渡りました。民衆を愛するあまりに革命運動をおこそうとして、独裁政治をめざすナポレオン3世に追われ亡命したのです。

「ナポレオン3世には、かならず天罰がくだる」

ユゴーは、1869年までの18年ものあいだ孤島に身をおき、ナポレオンをのろいながら、詩と小説に怒りをぶつけました。人間のゆがめられた運命へのいきどおりをこめた『レ・ミゼラブル』が生まれたのは、このときです。

ナポレオン3世がたおれ、1870年にパリへもどったユゴーは、人間の自由を叫びつづけた英雄として、人びとから尊敬されました。そして、さらにおおくの小説や詩を残して1885年、83歳の生涯を終えると、国葬によって、その偉業がたたえられました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)9巻「スチーブンソン・シューベルト・アンデルセン」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「ユゴー」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、先週より、300余名の「小伝」を公開しています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、ユゴーの代表作 『レ・ミゼラブル』全文(豊島与志雄訳) を読むことができます。


「2月26日にあった主なできごと」

1609年 琉球征伐…薩摩藩の藩主島津家久は、この日大軍を率いて琉球王国に攻め入り、4月までに征伐しました。当時琉球王国は、中国や東南アジアと日本を結ぶ中継貿易で栄えていましたが、これを薩摩藩が独占することになりました。

1815年 ナポレオンがエルバ島脱出…ヨーロッパ同盟軍に破れ、エルバ島に流されていた ナポレオン は、この日の夜7隻の船に大砲を積みこんで島を脱出、皇帝に返り咲きました。しかし「100日天下」に終わり、セントヘレナ島に幽閉され、その地で亡くなりました。

1936年 2・26事件勃発。詳細は、2008年2月26日ブログ を参照ください。

投稿日:2009年02月26日(木) 09:08

 <  前の記事 近代の代表歌人・斎藤茂吉  |  トップページ  |  次の記事 条件反射のパブロフ  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/1630

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)