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『蟹工船』 の小林多喜二

今日2月20日は、日本プロレタリア文学の代表作家といわれる小林多喜二が、1933年に拷問によって殺された日です。

小林多喜二の書いた『蟹工船』『不在地主』『党生活者』などは、日本のプロレタリア文学の代表作といわれています。プロレタリア文学というのは、労働者や農民の貧しいすがたや、そのまずしさの原因となっている社会のしくみをありのままにえがいた文学です。それは、はたらく人びとの立場から社会のゆがみをえがくことによって、社会改革を追求しようとするこころみでした。

多喜二は、1903年、秋田県の貧しい農家に生まれました。父はよくはたらくおだやかな人柄で、母も学問はありませんでしたが、明るく思いやりのある人でした。多喜二はこうした両親を敬愛していました。一家は村では暮らしていけなくなって、北海道の小樽に移り、多喜二はおじのパン工場ではたらきながら、学校に通いました。小樽高商を卒業してからは、銀行に就職できたので、母はよろこびました。

多喜二は、小樽高商に在学中から小説を書いていました、銀行につとめてからも、友人たちと同人雑誌を発刊しました。そして、考えはしだいに共産主義に近づいていきました。

戦前の日本では、労働者や農民の権利は今ほど守られず、生活は悲惨なものでした。多喜二は、こうした状態を救うためには、共産主義しかない、その運動を進めるための文学を書こうと思いました。しかし、この当時、共産党を作ることはもちろん、運動に参加することも、協力することも法律で禁じられていました。共産主義をおし進めるためには、監獄につながれる覚悟が必要でした。

多喜二の『1928年3月15日』は、全国で共産主義運動をおこなっていた人びとが検挙され、小樽でも500人が捕えられた日のことを作品としたものです。この小説で、特高(思想の取りしまりにあたる警察)の残虐な拷問とそれに屈しない労働者のすがたをえがきました。

『蟹工船』はカムチャッカ沖でカニ缶詰を作っている船の話です。ボロ船の上で、ひどい労働をさせられている人びとが、ついにストライキに立ち上がるまでをえがいています。

多喜二は、こうした小説を書いたために、銀行は辞めさせられ、刑務所に入れられましたが、共産党に入り、文学の上ばかりでなく、生活のうえでも労働者の先頭に立とうとしました。

しかし、1933年2月20日、逮捕され、その日のうちに拷問によって殺されました。2日ご、送り返されてきたその死体は、無ざんな傷あとを残していました。まだ29歳のわかさでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)36巻「宮沢賢治・湯川秀樹」の後半に収録されている14編の「小伝」の一つ 「小林多喜二」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、今週より、300余名の「小伝」を公開しています。

なお、インターネット図書館「青空文庫」では、小林多喜二の代表作『蟹工船』他13編 の作品を公開しています。『蟹工船』は昨年、若い世代を中心とした非正規雇用の増加や貧困層の拡大などを背景に、新潮文庫版が50万部をこえるベストセラーになりました。

「2月20日にあった主なできごと」

1607年 阿国の歌舞伎踊り…この日、出雲の阿国が江戸で歌舞伎踊りを披露。諸大名や庶民から大喝采をあびました。(2008年2月20日ブログ参照)

1928年 初の普通選挙…これまでの選挙権は、国税3円以上をおさめる成人男性に限定されていましたが、大正デモクラシーの勃興や護憲運動によって、納税額による制限選挙は撤廃され、25歳以上の成年男性による普通選挙が実現しました。

投稿日:2009年02月20日(金) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)