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歌舞伎のルーツ・出雲の阿国

今日2月20日は、江戸時代の初期、日本の伝統芸能である歌舞伎の基礎をきずいた芸能者・出雲の阿国 (おくに) が、1607年初めて江戸で歌舞伎おどりを披露した日です。

天下分け目の関ヶ原の戦いが起こった1600年ころのことです。賀茂川(京都府)のほとりの四条河原で、かね、太鼓を打ち鳴らし、念仏をとなえながら踊る一座が、人気を集めていました。

人気のまとになっているのは、すがたが美しく、声がきれいで踊りのじょうずな、出雲の阿国とよばれた女の芸人でした。

武士中心の社会では、女は男よりも身分が低いものとされ、女が人前で舞台に立つことなどありませんでしたから、人びとはよけいに、女芸人がめずらしくてしかたがなかったのです。

阿国は、幼いころから、旅芸人として踊っていたといわれます。また、出雲大社(島根県)の巫女として神につかえ、大社を修理する費用を集めるために京都へ踊りにきたとも伝えられています。しかし、はっきりしたことは、わかっていません。

1603年ころ、阿国は、男の衣装を身にまとい、腰には刀をさし、武士が茶屋女とたわむれる舞台を演じました。武家社会のようすを、おもしろおかしく皮肉った軽い劇です。また、狂言師を相手に、流行していた歌や遊び、話題になっていた事がらなどをたくみにとり入れて、歌ったり踊ったりしてみせました。

いつのまにか、阿国一座の舞台は、かぶき踊りとよばれるようになりました。たいへん風変わりな踊りだったからでしょう。かぶきというのは、奇妙なふるまいや、すがたをさす言葉でした。世の中からはみだした人間を、かぶき者とよんだほどです。

人びとの目には、阿国の芸が、それまでの芸能の世界からはみだしたものにうつったわけです。しかし、男のすがたをした阿国の踊りは、奇妙であればあるほど評判になり、遊女を中心に、まねをする女たちが次つぎに現われました。そして、その芸を女かぶきとよぶようになりました。

やがて東へ向かった阿国は、江戸でも、大評判になりました。仮面をつけて静かに動くことを主にした能楽の舞いに対して、仮面をつけずに、とんだりはねたりする踊りが、江戸のはなやいだふんいきに、とけ込んでいったからです。1607年には、幕府の第2代将軍徳川秀忠の前でも踊ったと伝えられています。

阿国のかぶき踊りは、おおくの女かぶきの一座によって全国へ広まっていきました。しかし、風紀の乱れを心配した幕府は、1629年に、女の芸人が人びとの前で舞台に立つことを禁止してしまいました。その後、かぶきは歌舞伎と字が当てられ、男だけが演じる時代をむかえます。

阿国は、こうして、歌舞伎のもとをきずいた芸能者として歴史に名を残しました。でも晩年のことは、やはりわかりません。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)25巻「徳川家康・松尾芭蕉・近松門左衛門」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年02月20日(水) 12:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)