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旅の歌人・西行

今日2月16日は、平安時代の末期の僧侶で歌人の西行(さいぎょう)が、1190年に亡くなった日です。西行は、旅のなかにある人間として、また歌と仏道という二つの道を歩んだ人間として、宗祇や芭蕉らたくさんの人に影響を与えました。

平清盛と同じ1118年に生まれ、72年の生涯を旅また旅に終わった僧の西行は、平安時代の歌人です。しかし、22歳のときにとつぜん佐藤義清という名を捨てて出家するまでは、鳥羽上皇につかえて弓の名人といわれたほどのりっぱな武士でした。

武術にすぐれていた武士が、なぜ出家したのか、はっきりはわかりません。ある友人の死を悲しんで仏の道に入った、ある高貴な女性に失恋した、などと伝えられています。

かみしもを、そまつな衣に着がえた西行は、数年のあいだは京都のまわりの寺や小さな草ぶきの家で暮らし、やがて、奥州(東北地方)へ旅立ちました。そして、歌をよみながら、白河関や平泉、衣川などをめぐり、都にもどってからは、僧の修行をつむために高野山へのぼりました。

しかし、修行のかたわら、旅にあこがれてたびたび山をくだり、あるときは四国へわたって空海が生まれた讃岐(香川県)をたずね、旅の空の下で歌をよみつづけることだけは、いつになってもやめませんでした。

西行が、僧だというのに修行にはうちこまず、いつも歌をよんでいると聞いて、高野山の文覚上人は、初めは怒りました。ところが、僧の修行以上にしんけんに歌を作っている西行をひと目見てからは、何もいわなくなったということです。

1180年には平重衡によって東大寺が焼かれ、その翌年には国じゅうに大ききんが起こり、1185年には壇ノ浦で平家がほろび、西行は世の中の乱れと不安を悲しみました。そして、68歳のとき、平泉の藤原秀衡に東大寺を建てなおす寄付金をあおぎに、ふたたび奥州への旅にでました。

この旅のとちゅう、鎌倉で源頼朝と会ったときのこと。弓や歌の話でひと晩をすごした西行は、楽しかった話の礼に、頼朝から銀でつくった猫の置きものをもらいました。ところが、頼朝の屋敷をでるとまもなく、西行はその置きものを、道で遊んでいた子どもに惜しげもなくあたえてしまいました。この話は、いい伝えかもしれません。でも、西行は、それほど欲のない心の美しい人だったということです。

西行は、美しい自然を愛しました。とくに、春の桜と秋の月を深く愛しました。しかし『新古今集』『山家集』『千載集』『聞書集』などの歌集におさめられている数おおくの歌のなかには、人生の苦しみをみつめたものが少なくありません。

宮廷歌人が身をたてるために歌をよんだのとは異なり、西行は歌をよみながら、いつも自分の心を洗いつづけたのです。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)21巻「平清盛・源頼朝・源義経」の後半に収録されている7編の「小伝」のうち 「西行」 をもとにつづりました。長い間お待たせいたしましたが、本日より、約100名の「伝記」に引き続き、300余名の「小伝」を公開いたしました。

なお、和歌のネット図書館ともいうべき「千人万首」(よよのうたびと・現在923名の作品9000余首を掲載) では、西行の代表的100首 が注釈付で紹介されています。

「2月16日にあった主なできごと」

1883年 天気図…東京中央気象台が、全国11か所の測候所の観測記録を電報で取りよせ、この日わが国で初めて天気図を作成。3月1日からは毎日印刷して発行されるようになりました。

1959年 カストロ首相誕生…事実上アメリカの傀儡(かいらい)政権だったキューバのバチスタ政権を、農民の支持を得て、武力で倒したカストロが、ラテンアメリカ最初の社会主義国を作りあげ、この日首相に就任しました。

投稿日:2009年02月16日(月) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)