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天正少年使節

今日1月28日は、1582年、京都・本能寺で織田信長が家臣の明智光秀に暗殺される数か月前、ローマ法王に謁見することになる「天正少年使節」が長崎の港を出発した日です。使節団によってヨーロッパの人々は日本の存在を知ることになり、8年5か月後、彼らの持ち帰ったグーテンベルグ印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われました。これらは、日本とヨーロッパのつながりの上で重要な事件といってよいでしょう。

イエズス会の宣教師バリニヤーニは、九州のキリシタン3大名、大友宗麟(そうりん)、有馬晴信、大村純忠に、日本の使節をローマ法王のもとに送ってみてはどうかと提案したところ、3大名とも大賛成、4人の少年を選びました。正使に伊東マンショと千々石(ちぢわ)ミゲル、副使に原マルチノと中浦ジュリアンで、いずれも当時13、4歳でした。

長崎の港を出航した一行は、マカオ、インドのゴアを経て、アフリカ南端の喜望峰をまわり、2年半後にポルトガルの都リスボンに到着しました。さらに、スペインの首都マドリードで国王に会ったあと、1585年3月22日にローマ入りし、翌日バチカン国でローマ教皇グレゴリオ13世に謁見することになりました。

「地の果てからの使者」がキリスト教の総本山にやってきたということで、ローマじゅうはたいへんな騒ぎになりました。軍隊や役人が行列を作り、ラッパや太鼓にあわせてサムライ姿の3人(中浦ジュリアンは病気で欠席)は、サンピエトロ寺院まで行進しました。宮殿では祝砲がうち鳴らされるなか、法王におめどおりの式がおこなわれました。しきたりにしたがって、3人は法王の足もとにひざまずき、足にせっぷんをしました。法王は少年たちの額にせっぷんをかえすと、3人はあいさつをのべ、3大名からの手紙を法王にささげました。実に立派なふるまいだったと、たくさんの出版物に記されています。

4人の少年使節は、その後イタリア各地をめぐり、ふたたびスペインをへてリスボンへもどったあと帰国の船にのり、1590年6月長崎にもどりました。しかしそのときは、豊臣秀吉が全国を統一、キリシタン信仰をかたく禁じていて、信者たちにとっては暗い時代が始まっていたのでした。

「1月28日にあった主なできごと」

712年 古事記完成…太安万侶が元明天皇に「古事記」を献上しました。「古事記」は「日本書紀」と並ぶ古代の2大歴史書の一つで、稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた歴史を、安万侶がまとめあげたものです。

1687年 生類憐れみの令…徳川第5代将軍綱吉は、この日悪名高き「生類憐れみの令」を出し、亡くなるまでの23年間にわたり人々を苦しめました。犬や猫、野生の鳥獣保護ばかりでなく、食用の魚貝類やにわとりまでも飼ったり売買を禁止しました。

1912年 南極に日章旗…白瀬矗(のぶ)率いる南極探検隊が、南緯80度付近に日章旗をかかげ「大和雪原」と命名しました。のちに、この地は氷上であって、南極大陸ではないことが判明しました。

投稿日:2009年01月28日(水) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)