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アラブ民族の星・ナセル

今日1月15日は、スエズ運河の国有化、アスワン・ハイ・ダムの建設につとめ、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国)の指導者として活躍したナセルが、1918年に生まれた日です。

エジプトの政治家ガマール・アブドゥル・ナセルは、古代エジプト文明を生んだナイル川のほとりで生まれました。父は郵便局員でした。

エジプトは、ナセルが生まれて4年のちの1922年にイギリスの支配からのがれ、王国として独立を宣言していました。しかし、じっさいの政治の権力はイギリスににぎられたままでした。

「イギリスの支配がつづくかぎり、ほんとうの独立国ではない」

愛国心にもえていたナセルは、少年時代からこのように考え、早くも中学生のときにイギリスの権力に対する反対運動をおこなって、退学させられそうになったことがありました。

20歳で士官学校を卒業すると、4年後には教官に任命されましたが、やがて、エジプト民族のことを考えるなかまと自由将校団をつくり、ひそかに革命計画を進めました。そして、1952年、ついに目的を達成しました。革命委員会と名をかえた自由将校団が立ちあがって国王を追放し、共和国宣言に成功したのです。ナセルは、1956年に共和国憲法が定められると、初代の大統領になりました。まだ36歳の若い大統領でした。

ところが、ナセルの前には、ただちに大きな問題が立ちふさがりました。エジプトは、ナイル川に当時世界最大のアスワン・ハイ・ダムの建設計画を進めていましたが、資金の援助を約束していたアメリカとイギリスが、イギリスの支配からのがれたナセル政権に対抗して、その約束をやぶってきたのです。

ナセルは,ダム建設資金を生みだすために、イギリスが支配していたスエズ運河の国有化を宣言しました。そして、それはスエズ動乱へと発展しました。でも、ナセルは勇気をもって動乱をきりぬけ、ナイル川のダムもソ連の援助を受けて、約10年でみごとに完成させました。

アラブ諸国がひとつになることを夢に見ていたナセルは、1958年には、シリアとむすんでアラブ連合共和国を建設しました。しかし1961年には分裂し、さらに1967年には、六日戦争とよばれるイスラエルとの戦いに敗れ、その3年のちに心臓の病気で急死してしまいました。

ナセルは、民族的な戦いだけではなく、国内の政治にも力をつくし、教育の充実、医療制度の改善、貧しい農民を救うための土地改革などに大きな業績を残しました。また、アフリカの民族解放運動などにも兵を送り、力の弱い国ぐに発展のために手をさしのべました。ナセルが死んだとき人びとは「ナセルは死んだけれど、その名は永遠に残る」とたたえたということです。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)18巻「毛沢東・ディズニー・ケネディ」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「1月15日にあった主なできごと」

1862年 坂下門外の変…1860年3月に井伊直弼が桜田門外で殺害されたあとをうけた老中安藤信正は、孝明天皇の妹和宮を将軍家茂の夫人に迎える計画を立て、1861年に実現させました。これに憤慨した水戸浪士たちはこの日、安藤の暗殺を試みましたが、傷を負わせただけにとどまりました。

1939年 70連勝成らず…大相撲春場所4日目、69連勝中の横綱双葉山はこの日、関脇安芸の海に敗れ、70連勝をのがしました。当時の大相撲は、1月と5月の1年2場所・10日制で、現在の1年6場所・15日制と、条件の違いはありますが、69連勝という記録は、いまだに破られていません。 

投稿日:2009年01月15日(木) 09:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)