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大帝ともいわれた明治天皇

今日1月9日は、倒幕・攘夷派の象徴として、また近代国家日本の指導者として活躍した明治天皇が、1867年に即位した日です。

明治天皇は、1852年に京都で生まれました。父は、孝明天皇、母は、朝廷につかえていた公卿の中山忠能の娘です。

幼年時代の天皇は、からだが弱く、泣き虫でした。でも、5歳をすぎたころから身体をきたえ、1867年12月、孝明天皇の急死により16歳で天皇の位についたころには、相撲なら、宮中のおとながだれひとりかなわないほどになっていました。

王政復古によって江戸幕府がたおれ、国の政治を徳川氏の手から朝廷にとりもどした天皇は、まず、国民の考えを尊重することなどをちかった『五箇条の御誓文』を発表して、新しい政治の大方針をうちだしました。そして、1868年に江戸を東京と改めると、つぎの年には都を京都から東京へ移して、近代国家への政治にとりくみ始めました。

1871年には、大名たちが支配している藩を廃止して、かわりに府県をおき(廃藩置県)、武士中心の社会のしくみを、完全にとりこわしました。しかし、古いしくみをなくしても、朝廷につかえる政治家たちのあいだでは、むかしの藩ごとに対立がつづき、これをひとつにまとめていかなければならない天皇の苦労は、いつまでも絶えませんでした。1877年に起こった西南戦争で西郷隆盛が死んだとき、25歳の天皇は、たとえ賊軍でも西郷の死を、たいへん悲しんだということです。

新しい国を建設していくためには教育が大切だと考えた天皇は、1872年に、小学校を国民の義務教育とすることを決め、1890年には教育の基本をしめした教育勅語をだし、小・中・大学校をととのえていきました。

また、新しい政治を進めていくために、1889年に大日本帝国憲法を発表して、つぎの年には第1回の衆議院総選挙をおこない、日本で初めての帝国議会を開き、近代国家らしい立憲政治の幕を開けました。

いっぽう、日本のすべての軍隊をひきいるようになった天皇は、国の守りにも力を入れ、1894年に起こった日清戦争にも、1904年に起こった日露戦争にも大勝して、アジアの小さな島国日本の名を、世界にとどろかせました。

明治天皇は、こうして、わずか数十年で新しい日本の基礎をきずきあげました。しかし、その功績は天皇だけのものではなく、天皇のもとに、近代国家の建設と戦ったおおくの政治家たちがいたことを見落としてはなりません。また、明治天皇によって絶大になった天皇の権力を軍隊が利用して、その後の日本が軍国主義へみちびかれていったことも、忘れてはなりません。

明治天皇は、1912年(明治45年)7月、持病の糖尿病が悪化、尿毒症を併発して59歳で崩御しました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)33巻「牧野富太郎・豊田佐吉」の後半に収録されている14名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「1月9日にあった主なできごと」

802年 胆沢城…794年に史上初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、現在の盛岡市近辺に胆沢(いざわ)城を築城。およそ150年にもわたって本州東方以北の蝦夷地政府ともいうべき[鎮守府]として機能しました。

1891年 不敬事件…3年間のアメリカ留学でキリスト教徒となった内村鑑三は、前年から第一高等中学校の講師として、この日講堂で挙行された教育勅語奉読式において、天皇親筆の署名に最敬礼をおこないませんでした。それが同僚・生徒などによって非難され、社会問題化しました。

1905年 血の日曜日…ロシア帝国の首都サンクトペテルブルグの冬宮前広場で行われた労働者によるデモに対し、政府の兵士が発砲、2000人もの死傷者を出しました。この日曜日におきた事件は、ロシア第1次革命の発端となりました。

投稿日:2009年01月09日(金) 09:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)