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犬公方の徳川綱吉

今日1月8日は、江戸幕府の第5代将軍で、当初はすぐれた政治を行ないましたが、やがて「生類憐みの令」をはじめ、悪政といわれる政治を次々とおこなうようになった徳川綱吉が、1646年に生まれた日です。

徳川綱吉は、3代将軍家光の4男として生まれ、上野国(群馬県)館林25万石の城主をつとめたのち、34歳で、兄の4代将軍家綱のあとをついで将軍の位につきました。

江戸城へ入った綱吉は、まず、家綱時代に権力をふるっていた大老をしりぞけて、幕府の政治を将軍の手にとりもどし、さらに、心のゆるんでいる大名、旗本、代官たちをきびしくとりしまり、乱れていた幕府をたてなおしました。

いっぽう、幼いころから儒学を学んできた綱吉は、江戸の上野忍ヶ岡にあった孔子をまつる聖堂を湯島へ移し、そのなかに学問所を開いて、広く学問を奨励しました。人間の道徳を教える儒学を広めて社会の秩序を正し、幕府の政治が、だれにもさからわれずにゆきわたることを願ったのです。

将軍が江戸に学問所を開いたことで、大名たちも、各藩ごとに藩校をつくって、武士や、武士の子どもたちの教育に力を入れるようになり、そのごの江戸時代の学問の発展に、大きな影響をあたえました。

綱吉は、このほか、不正代官をとりしまり、また、武士にも町人にも農民にも親孝行をすすめ、将軍の位についた初めのころは、すぐれた政治をおこなう将軍としてたたえられました。

しかし、40歳をすぎたころから、側用人の柳沢吉保らに政治をまかせるようになると、せっかくたてなおした幕府の政治を、ふたたび乱してしまいました。その失敗した政治の第一にあげられるのが、1687年にうちだした「生類憐みの令」です。

この「生類憐みの令」をだしたのは、儒学を深く学んだ綱吉に生きものをあわれむ心があったからだとも、あとつぎの子をさずけてもらう祈願のためだったとも、いわれています。「たとえ野良犬でも、傷つけたり殺したりしたものは厳罰をあたえ、打ち首にもする」と言いわたしたのですから、たまりません。町の人びとは、綱吉を「犬公方」と呼んでにくむようになってしまいました。そのうえ幕府は、寺院の建造などにおおくの金を使い、金がなくなると質の悪い貨幣をたくさんつくったため、国の経済も乱れてしまいました。

ところが、いっぽうで、この綱吉の時代には元禄文化の花が開きました。貴族たちのぜいたくな暮らしが大きな原因になって、上方(関西)や江戸を中心に商業が盛んになり、そのおかげで、俳諧、浄瑠璃、歌舞伎など、町人の文化が栄えたのです。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのも、この時代のことでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)27巻「本居宣長・杉田玄白・伊能忠敬」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「1月8日にあった主なできごと」

1918年 平和原則14か条…アメリカのウィルソン大統領は、秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、民族自決、国際連盟の設立など、平和原則14か条を発表しました。この提唱が基になって、2年後に国際連盟が設立されました。

1941年 戦陣訓…日中戦争中のこの日、陸軍大臣東条英機は、全陸軍兵に軍人としてとるべき行動規範を示した文書「先陣訓」を通達しました。このなかに示された「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節が、多くの兵士に死を強いることになりました。

1961年 アルジェリア自決投票…フランスの植民地支配に対するアルジェリアの独立戦争は、1954年から長い間行なわれてきましたが、この日フランスの国民投票で、ドゴール大統領のアルジェリア自決政策が多数の支持を得ました。これがきっかけとなって、100万人もの犠牲者を出した戦争は終結、1962年3月、アルジェリア人民共和国が成立しました。

投稿日:2009年01月08日(木) 09:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)