今日12月18日は、江戸中期の蘭学者、博物学者でありながら、エレキテルの製作や燃えない布の発明、小説や戯作家としても活躍した平賀源内が、1779年に亡くなった日です。
鎖国時代の日本にあらわれた天才的な科学者平賀源内。その科学の範囲は、植物学から天文学、地理学はもとより、鉱物学、物理学にまでおよびます。さらに、絵もかき、焼きものも作り、日本初の物産展を開催したり、文学者としていくつかの戯曲や小説までも書き残しています。それらを、1729年に生まれ1779年に亡くなるまでの50年間になしとげたことは、源内がとてつもないスケールの人物だったからにちがいありません。
「解体新書」を著した杉田玄白は、平賀源内の墓に、次のように記しています。「ああ非常の人、非常の事を好む、行これ非常なり、何ぞ非常に死するや」(嗟非常人/好非常事/行是非常/何非常死) まさに、源内の一生をみごとに表わした言葉として有名です。
そんな平賀源内の生涯の詳細を、いずみ書房のホームページにあるオンラインブックで公開をしています。「せかい伝記図書館」26巻 「平賀源内」 をぜひご覧ください。
「12月18日にあった主なできごと」
1891年 足尾鉱毒告発…田中正造はこの日の議会で、足尾鉱山の選鉱カスによる鉱毒、山林の乱伐、煙害や排水により、渡良瀬川の洪水と結びついて、沿岸一体の農地を荒廃させた「足尾鉱毒問題」をとりあげて、事態の重大性を訴え、銅山の即時営業停止と農民の救済を政府にせまりました。
1914年 東京駅開業…新橋─横浜間にわが国はじめての鉄道が敷かれて以来、東京では新橋が始発駅でしたが、この日東京駅の開場式が行なわれ、東海道本線と電車駅の始発駅は、東京駅となりました。
1956年 国際連合に加盟…この日、国際連合の総会が開かれ、満場一致で日本の国連加盟を承認し、80番目の加盟国になりました。1933年に国際連盟を脱退してから23年目にして、ようやく国際社会に復帰しました。