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グリム童話集

今日12月16日は、兄弟で力をあわせて、ドイツに伝わる民話を集大成したグリム兄弟の弟ウィルヘルムが、1859年に亡くなった日です。

グリム兄弟ほど仲のよい兄弟は、めったにいません。二人は、どんな時でもいっしょでした。なかよく同じ学校へ進み、仕事や研究ばかりでなく日常の生活でも、はなれずに、心の通いあった人生をおくりました。グリム兄弟は、おたがいに助けあい、共同で『グリム童話集』を発表するなど、おおくの業績でしられています。

グリム兄弟は、ドイツのフランクフルトに近い、ハーナウに生まれました。兄がヤーコプ、1つ年下の弟をウィルヘルムといいます。二人とも大学で学んだのは、法律でしたが、はば広く学問にふれるうち、民話のおもしろさや神話にひかれ、文学の勉強もするようになりました。グリム兄弟は、民話の調査や研究をつづけ、大学卒業ご、図書館に就職してからも、仕事のかたわら、できるだけの時間をさきました。

民話は、一人の作者によってつくられた話ではありません。身近な日常生活の中に生まれ、親から子へ、子から孫へと、伝えられてきた話です。グリム兄弟は、人びとの間に伝わる民話が、時間とともに消えてしまったり、もとの形がくずれてしまったりすることを心配しました。二人は民話を未来へ、確実に残したいと考えました。元気で活動的なヤーコプが、国じゅうの町や村を歩いて、民話を聞き集めてきます。それを体のあまりじょうぶでないウィルヘルムが、美しい文章で整った物語にしあげました。こつこつと何年も仕事をつづけて、完成させたのが、有名な『グリム童話集』です。『ヘンゼルとグレーテル』『白雪姫』『赤ずきん』などの、だれでも一度は、読んだことのあるむかし話が、おさめられています。兄弟は、童話集のほかに『ドイツ伝説集』を出版しました。

グリム兄弟は、すぐれた学者として、大学教授にむかえられ、20年つとめた図書館を去りました。新しい仕事として、二人は『ドイツ語辞典』をつくることになりました。この『ドイツ語辞典』は、たいへん大がかりな計画で、グリム兄弟は、死ぬまでの20年余りにわずか1割しかなしとげることができませんでした。しかもグリム兄弟のあとに、すぐれた学者たちが、仕事をうけつぎましたが、辞典の完成までに100年もかかってしまいました。

根気の必要な研究を、グリム兄弟は、しんぼう強く、いくつも完成させ、現代の学問にさまざまな影響を与えています。晩年は、ドイツ学界の長老として、活躍し、純粋な人柄は、おおくの人に愛されつづけました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 8巻「モーツァルト・ナポレオン・ベートーベン」の後半に収録されている7編の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

なお、グリム童話は、いずみ書房のホームページで公開している「オンラインブック」で読むことができます。 「せかい童話図書館」 では 「ヘンゼルとグレーテル」 「ブレーメンのおんがくたい」 の2点、 「レディバード100点セット」 では 「小人と靴屋」 「魔法のかゆなべ」 「金のガチョウ」 「狼と7匹の子やぎ」 「ガチョウ番の娘」 「眠り姫」 「ラプンツェル」 「勇敢な小さな仕立屋」 「親指トム」 「白雪姫」 「白雪と紅バラ」 「王女とかえる」 の12点です。ぜひ、のぞいてみてください。

「12月16日にあった主なできごと」

1773年 ボストン茶会事件…この日の夜、インディアンに変装したボストン市民が、港内に停泊中のイギリス東インド会社の船に侵入。342箱の茶を海に投げ捨てました。この事件がキッカケとなって、イギリス本国と植民地の関係が急速に悪化、1年4か月後にアメリカ独立戦争が勃発しました。

1864年 奇兵隊の挙兵…11月の第1回長州征伐に敗れた長州藩でしたが、高杉晋作の率いる足軽・百姓・町人の有志で組織された「奇兵隊」がこの日挙兵して、藩の主導権を握りました。

1932年 白木屋デパート火災…東京日本橋の白木屋デパート(現在の東急デパート)で火災がおこり、地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼。この火災で客や店員ら14人が死亡、500人余りが重軽傷を負うなど、日本初の高層建築物火災となりました。当時の女子店員はまだ和服だったために、行動が不自由で逃げ遅れた人が多く、この惨事がキッカケとなって、洋服を着る女性が多くなったといわれています。

投稿日:2008年12月16日(火) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)