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エスペラント語のザメンホフ

今日12月15日は、世界でおよそ100万人の人が使用している人工言語、エスペラントの創案者ザメンホフが、1859年に生まれた日です。

ルドウィク・ラザロ・ザメンホフは、エスペラント語という国際語を考えだして、それを世界に広めた人です。ポーランドのビアウィストクという町に生まれたザメンホフは、中学校で語学と地理の教師をしていた父に、早くから世界の言葉を学びました。また、やさしい母からは、人と人が助けあう愛情のたいせつさを教わって育ちました。

あたたかい家庭にいるときのザメンホフは、幸せでした。しかし、外へ出るたびに、心が暗くなってしまうことがありました。それは、町の人びとの間で、みにくい争いが絶えないことでした。ロシアに支配されていた、このころのポーランドには、ポーランド人のほかユダヤ人、ロシア人、ドイツ人など、さまざまな人が住み、それぞれ違う言葉を使っていました。そのため、人びとの心が、なかなか通いあわなかったのです。

やがて中学校へ進むと、言葉の違う民族どうしの争いは、世界がかかえている大きな問題だということを知りました。そして、いくつかの外国語を学んでいくうちに、みんなが同じ言葉を使うようになれば争いは少なくなるにちがいない、と考えるようになりました。

「そうだ、どこの国の人にも使いやすい、新しい言葉を作ろう」

ザメンホフは、つくえに辞書を積みあげて外国語の研究にとりくみ、19歳のときに、ひとつの国際語をまとめました。ところが、言葉の研究は父に反対され、ザメンホフは大学の医学部へ入学させられました。せっかくまとめた国際語の原稿も、父の手で焼き捨てられてしまいました。

しかし、ザメンホフの信念はかわりません。医学のかたわら研究をつづけ、大学を卒業して眼科医になった2年目に、エスペラントというペンネームで、ついに完全な国際語を発表しました。

結婚して子どもが生まれた眼科医の生活は、あすのパンも買えないほど貧しいものでした。でも、ザメンホフは、こんどは国際語を広めることに全力をつくしました。そして1905年に、パリで開かれた第1回の万国エスペラント大会では、こみあげるなみだをこらえて、語りかけました。

「全世界の、全人類の大きな家族のみなさん……」

ザメンホフは、そのご『旧約聖書』や各国の文学作品をエスペラント語に翻訳する仕事をつづけて、1917年、57歳で世を去りました。エスペラント語を公用語にしている国はまだありませんが、ヨーロッパを中心に世界でおよそ100万人の人に使われ、日本にも、東京に日本エスペラント学会がおかれています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 13巻「ノーベル・マークトウェーン・コッホ」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「12月15日にあった主なできごと」

1868年 蝦夷共和国…榎本武楊ら旧幕府軍は、箱館(函館)の五稜郭で、この日「蝦夷(えぞ)共和国」の成立を宣言、榎本を総裁に選出しました。しかし、翌年新政府軍の攻撃を受けて降伏。

1947年 婦人参政権…この日の帝国議会で、男女同権の新選挙法を可決、翌日公布されました。翌年4月、戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。

1965年 宇宙ランデブー…アメリカの二人乗り有人衛星ジェミニ6号と7号が、グアム島上空付近で近接し、史上初のランデブーに成功しました。

投稿日:2008年12月15日(月) 14:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)