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「宝島」 のスチーブンソン

今日12月3日は、冒険小説「宝島」によって名をなし、「ジキル博士とハイド氏」「誘惑されて」など独自の文学を開いた作家スチーブンソンが、1894年に亡くなった日です。

ロバート・ルイス・スチーブンソンは、1850年イギリスのスコットランドのエディンバラに生まれました。父は有名な灯台を建設する技師でした。父親の勧めで、スチーブンソンもエディンバラ大学の土木工学科に入学しますが、生まれつき病弱だったため、法学部に転部して、弁護士となりました。しかし、健康にすぐれず、各地を転地療養しながら旅行記を書きはじめました。

1883年、それまで子ども向け雑誌に連載されていたものを一冊にまとめたものが出版されました。これが、スチーブンソンを一躍有名にした『宝島』でした。『宝島』のおよその内容は次の通りです。

ジム少年の亡くなった父親が残した宿屋に、ビリーという謎の人物が泊りこんでいました。ある晩、ビリーはケンカの末に死んでしまい、ジムは彼の持ち物の中から油布の包みを見つけます。それが宝島の位置を記した地図であることを知ったジムは、医者のリブゼイと弁護士のトレローニに相談、スモーレット船長以下みんなで宝島を探しに向かうことになります。シルバーという一本足の男の助けを借りて集めた船員と共に、帆船のヒスパニオラ号に乗りこんで宝島をめざしました。苦難の末に宝島にたどり着きますが、シルバーは海賊の本性をあらわし、自分が引き入れた船員と共に反乱を起こしました。幸いにもジムが反乱のことを耳にしたおかげでスモーレット船長以下無事脱出、海賊たちと対立を続けることになります。海賊たちの間でも内紛があり、またこの島におきざりにされていたベン・ガンの助けを借りて、海賊たちのほとんどを殺し、宝を手に入れることに成功します。何度かジムの命を助けていたこともあって、生き残ったシルバーは、ジムらと共に島を離れますが、イギリスにもどって海賊行為で罰せられることを避けたのか、あるカリブの島でわずかの宝を持って行方をくらましました。無事帰国後、宝物をみんなで分け合いましたが、ジムには、恐ろしくもスリルに満ちた宝島の冒険を忘れることはできません。

その後、スチーブンソンは『ジキル博士とハイド氏』(医学・法学の博士号を持つジキル博士の家に、残酷でみにくい男ハイド氏がしばしば出入りすることに気づいた博士の友人アタソン弁護士。2人の異常な親密関係に疑問を抱いて調査をしていくと、意外なことが判ってきました……)『誘拐されて』『バラントレーの若殿』などを発表、寓意を含む幻想的で象徴的な作風に特徴があります。

晩年には、ドイツ、アメリカ、イギリスによる南太平洋をめぐる主導権争いの主な舞台となっていたサモア諸島のウポル島に渡って、現地住民と親交を深めながら、植民地主義に対して批判的な手記や作品を残しました。

なお、スチーブンソンの 「宝島」 「ジキルとハイド」 「誘惑されて」 の3作品の内容は、いずみ書房ホームページ・オンラインブックで公開している「レディバード100点セット」の参考訳をご覧ください。

「12月3日にあった主なできごと」

1637年 農民一揆・原城に籠城…島原・天草地方(長崎県)はキリシタン農民が多いところでした。島原藩主が厳しい年貢の取立てとキリシタンへの弾圧を強めたことで、農民らが反乱を起こして、16歳の少年天草四郎を大将にその数は37000人にものぼり、この日島原半島の原城に籠城。農民たちの結束は固く、せめあぐねた幕府軍は5か月後にようやく落城させました。

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日のこの日が、新暦明治6年1月1日となりました。日本では、7世紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきましたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていました。

投稿日:2008年12月03日(水) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)