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アステカ・インカ文明を滅ぼした人たち

今日12月2日は、メキシコに高い文明を誇ったアステカ帝国を滅ぼしたコルテスが、1547年に亡くなった日です。南アメリカ大陸に栄えていたインカ帝国を滅ぼしたピサロとともに、不遇な人生だったようです。

1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して、27年ののち、見知らぬ土地の征服を夢見た34歳のエルナン・コルテスが、この新大陸へ渡りました。

コルテスは、1485年スペインに生まれ、大学を卒業すると探検にあこがれて大西洋を越え、カリブ海に浮かぶスペイン領のキューバ島へやってきました。1519年、キューバの長官ベラスケスの命令をうけて、新大陸探検のために500人あまりの兵をひきいたコルテスが、メキシコへ上陸しました。

ところが、メキシコに栄えていたアステカ帝国に、たくさんの財宝があることを知ったコルテスは、その帝国を、自分の力で征服してしまおうと考えたのです。そして、ベラスケスの探検の命令にはそっぽをむき、スペイン国王に手紙をおくると自分が遠征軍の総司令官を名のって、兵を進めました。キューバからは、命令にそむいたコルテスをとらえるために、ベラスケスが派遣したスペイン軍が追ってきました。しかしコルテスは、このスペイン軍との戦いにも、また、原住民のインディオとの戦いにも勝利をおさめ、1521年、アステカ帝国をほろぼしてしまいました。

コルテスは、36歳でメキシコの支配者になりました。でも、そのごのメキシコは、スペイン国王がつかわした役人たちによってとりしまられるようになり、力を失ったコルテスはスペイン本国へ帰って、1547年に62歳の生涯をさみしく終わりました。

コルテスより少しおくれて、やはりアメリカ大陸に黄金をもとめてのり込んだスペイン人が、もうひとりいました。1475年ころ生まれて貧しい少年時代をすごし、いつも探検にあこがれていたフランシスコ・ピサロです。

ピサロは、1531年に180人の兵をしたがえ、南アメリカ大陸で15世紀の中ごろから栄えていたインカ帝国へ侵入しました。そして、平和な話しあいにやってきた皇帝をとらえると、けらいたちをみな殺しにし、やがては皇帝も死刑にしてしまいました。

1535年にインカを征服したピサロは、のぞみどおりに黄金を手に入れました。しかし、それから6年ののち、こんどは自分が、あっけなく、なかまに殺されてしまいました。

高い文明をほこったアステカとインカは、こうしてすがたを消し、そののちおよそ300年のあいだ、植民地としてスペインに支配されることになってしまったのです。コルテスもピサロも、いちどは富と名誉を自分のものにすることはできましたが、けっきょくは、人生の勝利者になる夢は果たせませんでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 4巻「ジャンヌダルク・コロンブス・マゼラン」の後半に収録されている7編の「小伝」の1編「コルテスとピサロ」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「12月2日にあった主なできごと」

1804年 ナポレオンの戴冠式…パリのノートルダム寺院において、ナポレオンが皇帝となる戴冠式が行なわれました。ナポレオンは、自らの手で王冠を頭上に置き、王妃の頭上にも置きました。王冠は、法王から授かれるものではなく、自分の手で獲得したものであることを強調したものでした。この華やかな模様は、ルーブル美術館とベルサイユ宮殿にあるダビッドの名画に描かれています。

1929年 北京原人の頭骨発見…北京郊外の周口店にある洞窟の中で、人類の頭蓋骨の化石が見つかり、北京原人と名づけられました。北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつですが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したようです。この北京原人遺跡は1987年にユネスコの世界遺産として登録されました。

投稿日:2008年12月02日(火) 09:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)