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経営の神様・松下幸之助

今日11月27日は、パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げた日本屈指の経営者であるとともに、PHP研究所を設立して倫理教育に乗りだ出す一方、松下政経塾を立ち上げて政治家の育成にも意を注いだ松下幸之助が、1894年に生まれた日です。

「ナショナル」のマークで知られた松下電器産業(2008年10月「パナソニック」に社名変更)は、今や世界の大企業のひとつです。この大会社をつくりあげたのが、松下幸之助で、1894年(明治27年)和歌山県に生まれました。

父は事業に失敗し、和歌山市で下駄屋をはじめましたが、うまくいきませんでした。そのため、幸之助は小学校を4年でやめ、大阪の火鉢屋ではたらき、つづいて自転車屋につとめました。自転車がまだ、めずらしい乗物だった時代です。幸之助はそこで5年間はたらきましたが、大阪に市電の走るようになったのをみて「これからは電気の時代だ」と考えました。そこで大阪電燈の配線見習工になり、夜は、学校に通って電気の技術を身につけました。

1917年、電燈会社をやめた幸之助は、4人だけで町工場を作りました。はじめは失敗もありましたが、幸之助の考案した「二燈用差し込みプラグ」(ふたまたにしたソケット)は好評で、よく売れるようになりました。そして、この小さな町工場をさらに発展させたのは、新しい自転車用乾電池ランプの発売です。

それまでの乾電池を使った自転車用のランプは、数時間しかもたないので、ローソク・ランプの方がおおく使われていました。幸之助は、電池ランプを10時間以上ももつものにしようと考えました。わずか3か月の間に100個ちかい試作品を作るほど工夫を重ね、新しい豆球と改良した電池をくみあわせることによって、30時間から50時間ももつものを作り上げました。幸之助はこの成功をよろこび、新しいランプの生産を開始しました。

ところが「電池ランプなんか実用にならないよ」とどこでも信用してくれないのです。幸之助は弱りました。そこでこう言って小売店においてもらうことにしました。

「かならず30時間以上もちますから、見ていてください。そして、これは使えると思ったら、売ってください」

小売店に2、3個のランプをあずけ、そのひとつだけは点燈しておいたのです。やがて「こんなランプははじめてだ。30時間以上もったよ」とぞくぞく注文がくるようになりました。

つづいて幸之助は、アイロン、ラジオ、乾電池などの製造をはじめ、松下電器に発展させていったのです。「ナショナル」(国民の、全国の)という商標も、国民に必要なものを作ろうという幸之助の願いをあらわしています。ほかよりすぐれた、家庭で安心して使えるものをいつもめざしました。

幸之助は、1989年に94歳で亡くなりましたが、高度成長し、世界のトップクラスをほこるようになった日本の代表的経営者のひとりにかぞえられています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 36巻「宮沢賢治・湯川秀樹」の後半に収録されている14名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開いたします。

「11月27日にあった主なできごと」

1095年 十字軍の提唱…ローマ教皇ウルバヌス2世は、この日フランス中部クレルモンの宗教会議で、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するために、聖なる戦いを勧告。これにより、胸に十字の標識をつけた兵士・キリスト教徒が聖地にむけて出発する「十字軍時代」が始まりました。

1958年 皇太子婚約発表…皇太子明仁親王(現天皇)と正田美智子さん(現皇后)の婚約が、この日に発表され、美智子さんが民間から出た最初の皇太子妃となることで日本中がわきたち、ミッチーブームがおこりました。

1959年 デモ隊2万人が国会構内に突入…1951年に締結された日米安全保障条約(安保)は1960年に改定がおこなわれることになり、アメリカ軍の日本駐留・配備を続けること、その活動範囲を極東全域に拡大するといった内容でした。この日、改定に反対する学生や市民らが国会周辺に押しよせ、デモ隊2万人余りが国会構内に突入したものです。

投稿日:2008年11月27日(木) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)