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中央アジア探検家・ヘディン

今日11月26日は、昔からたくさんの探検家を輩出した国スウェーデンに生まれ、87年の生涯を中央アジアの探検にそそいだヘディンが、1952年に亡くなった日です。

1895年、8頭のラクダに、食べ物、毛布、カメラ、銃、それにいちばんたいせつな水を積んで、5人の男たちが、はてしなく広がる砂漠へ足をふみ入れました。スウェーデンの探検家ヘディンを隊長として、中国の西部にあるタクラマカン砂漠を越えようというのです。見送る人びとが「自殺しに行くようなものだ」とささやきあうほど、危険な旅でした。

人もラクダも焼きこがすような太陽。高さ30メートルもある砂丘。ごうごうと、ほえたてるようにおそってくる砂あらし。どこもかしこも、見わたすかぎり砂ばかりです。20日めには、とうとう1滴の水もなくなってしまいました。

やがて、5頭のラクダがたおれ、4人のなかまも、かわきのために、もう、はうことすらできません。ヘディンだけが、ぼんやりする頭の中で、川にぶつかることを祈りながら歩きつづけました。

からだはひからび、脈拍もとぎれとぎれになり始めたとき、とつぜん、神のささやきのような音が、耳に届きました。

水です。砂漠を横ぎる川です。ヘディンは、ふるえる手で水を飲み、やっと元気をとりもどすと、長ぐつに水をみたして、たおれたなかまのもとへひき返しました。

こうして、アジアの大砂漠の横断が成功しました。世界で初めてのことでした。

1865年、スウェーデンのストックホルムで生まれたスベン・ヘディンは、少年時代から探検家になることを夢見ていました。大学で、中国を探検した教授に地理学を学んでからは、東の国ぐにへの旅に、心をうばわれてしまいました。

「なぞのおおいアジア大陸を、自分の目で確かめてみよう」

中国へ、チベットへ、モンゴルへ、ヘディンは生涯のうちに4回、命がけで足をふみ入れています。そして、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたのです。

ヘディンの目的は、見知らぬ土地を探検する苦しみやよろこびを、心にきざむことだけではありませんでした。地理学者として、地形や気候や、そこに住む人びとの生活などを、こまかく書きとどめておくことも忘れませんでした。そうした記録は、87歳の生涯を閉じるまでに、10冊を超える探検記と数えきれないほどの調査報告として、みごとにまとめられています。

一生結婚もせず、ひたすらアジアを歩きつづけたヘディンの心には、いつも、未知への探求心の火が燃えていました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 14巻「エジソン・ゴッホ・シートン」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開いたします。

「11月26日にあった主なできごと」

1086年 白河上皇の院政開始…白河天皇はこの日、8歳の親王を堀川天皇として譲位。白河上皇となって、幼い天皇の後見役となってからも政治の実権を握る院政をはじめました。白河院政は、堀川・鳥羽・崇徳天皇の3代にわたり43年間も行なわれ、その後も鳥羽・後白河上皇も院政を続けたため、「院政時代」といわれています。

1504年 イサベラ女王没…スペイン(カスティリア王国)女王のイサベラ1世がこの日53歳で亡くなりました。女王はイスラム教国グラナダを滅亡させたこと、コロンブスのアメリカ発見の援助者として有名です。

1906年 満鉄設立…日露戦争に勝利した日本は、ロシアが建設した東清鉄道を譲り受け、南満州鉄道(満鉄)として経営することになりました。満鉄は、鉄道事業を中心に広範囲にわたる事業を展開、日本の満州(中国東北部)進出の中核となりました。

投稿日:2008年11月26日(水) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)