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奇行の名僧・一休

今日11月21日は、形式化した禅宗と僧侶たちを厳しく批判し、世間的な常識に真っ向から対立する奇行と人間味あふれる狂詩で世を風刺した室町時代の名僧・一休が、1481年に亡くなった日です。

一休が、仲間の小僧たちと寺の掃除をしていますと、近所に住むおかみさんがやってきて「ボタ餅をつくったから食べておくれ」といいます。みんなは喜んで、餅にかぶりついたら、ガリガリ、ガリガリ。よくよく見たら、餅ではなくて、丸い石ころでした。「やーい、おいらのボタ餅はうまかったか?」「あっ、きつねだ。よくもだましたな」と、みんなで追いかけましたが、どこに逃げてしまったのか、見当たりません。

その時、本堂のほうから和尚さんの大声がします。「おーい、みんな来ておくれ。大変だ、仏様が二つになっている」「和尚さん、どちらか一つは、きつねが化けてるんですよ」と一休。「だがな、どっちがホンモノで、どっちがニセモノか見分けがつかぬ。しっぽはないか」「ありません」「棒で頭をたたきましょうか」と小僧たちは口々に叫びます。「いかん、いかん。ホンモノをたたいたら大変じゃ。寺の宝じゃからな」

すると一休が「ホンモノの仏様は、和尚さんがお経を読むと、いつも舌をペロリと出しますよ」といって目くばせすると、和尚さんもわかったらしく「おお、そうじゃった、そうじゃったな」といいながら、お経を読みつづけていると、一つの仏様が長い舌をペロリと出しました。

「それっ、舌をペロリと出したのがきつねだぞ」。きつねはみんなにぎゅうぎゅう押さえつけられ、ひげをちょん切られ、棒でたたかれ、「もう、悪さはしません」といいながら、尻尾をたらりとさげて、山へにげていきました。

これは、江戸時代のはじめに、一休の名を借りて作られた「一休とんち話」の中にあるたくさんの話のひとつです。一休は、南北朝の時代に、北朝の天皇だった後小松天皇の子に生まれましたが、母が南朝すじの人だったために、5歳で安国寺に預けられました。とんち話は、その安国寺の小僧時代のエピソードとして語られています。一休は、安国寺を出たのちも、もっとそまつな寺で厳しい修業をつづけました。やがて全国各地を歩き回り、禅をやさしくユーモアをまじえながら、誰にもわかる言葉でといてまわったことで、「一休さん、一休さん」と人々に親しまれ、愛されるようになったのでしょう。

一休は、室町幕府将軍家の信仰を受けて、権威化・世俗化していた「五山派」という禅宗の腐敗を嘆いて、奇行や狂詩などでこれを風刺しました。杖の先にガイコツをつけて京の町を歩きまわり「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」「今日ほめて 明日悪くいう人の口 泣くも笑うも うその世の中」などと詠んだことは有名です。

一休の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「一休」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。

「11月21日にあった主なできごと」

1783年 世界初の有人気球…モンゴルフィエ兄弟の発明した熱気球が、ふたりの侯爵を乗せて100mまで上昇。パリ上空9Kmの距離を、25分間世界初飛行に成功しました。

1806年 ナポレオンの大陸閉鎖令…プロイセン軍を破ってベルリンに入ったナポレオンは、この日ヨーロッパ大陸とイギリスとを隔離する「ベルリン勅令」を発しました。トラファルガーの戦いでイギリスに破れて制海権を失ったしかえしに、イギリスを経済的に自滅させ、フランス商品のヨーロッパ大陸支配をねらったものでした。しかし、密輸の横行と、大陸諸国のフランスへの反感が高まりました。

投稿日:2008年11月21日(金) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)