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議会政治の父・尾崎行雄

今日11月20日は、明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した尾崎行雄(おざき ゆきお)が、1858年に生まれた日です。

権力をふるう政治をにくみ、憲法を守る正しい議会政治をうちたてるためにたたかった「憲政の神さま」。このようにたたえられた尾崎行雄は、相模国(神奈川県)で生まれ、慶応義塾で1年半、工学寮(のちの東京大学工学部)で1年学んだのち、24歳で政治の世界へ入りました。

大隈重信が新しく結成した立憲改進党に加わったのが、その第1歩です。行雄は、党が発行する『郵便報知新聞』の論説委員をつとめ、国民の自由と権利を守る政治を広く訴えました。

ところが、29歳のとき、東京を追われてしまいました。伊藤博文内閣の政治に反対したため、内閣が反対者をしばらく遠ざけるねらいで作った保安条例にふれたのです。

「数年、東京に住めないのなら、このさい外国へ行ってこよう」

行雄は、それからおよそ2年のあいだ、アメリカやイギリスをまわって、進んだ国ぐにの政治を学びました。

1890年、日本で初めての衆議院総選挙がおこなわれると、三重県から立候補して当選しました。このときはまだ31歳でしたが、そのごの行雄は25回もの連続当選の記録をつくり、90歳を越えるまで63年ものあいだ、衆議院議員の道を歩み続けました。

行雄は、文部大臣、司法大臣などをつとめ、45歳のときから10年間は東京市長の大任も果たしました。最もはなばなしく活躍したのは、日本に軍国主義の芽がではじめてからです。

1912年の12月に、軍隊と強くむすびついた桂内閣が生まれると、行雄は、憲法を守る憲政擁護運動の先頭に立ってたたかいました。そして、国会で「あなたは天皇のかげにかくれて憲法に反することばかりしてきた」と叫んで桂首相をきびしく叱り、やがて内閣を総辞職に追いこみました。

1914年には、海軍が軍艦を買うときに外国の会社からわいろをもらっていた事件で、山本権兵衛内閣をたたき、1920年には、国民が平等に選挙権をもてるようにする普通選挙運動に立ちあがり、民主政治のために力をそそぎました。また、日本が大陸への侵略を始めると、戦争反対を叫びつづけました。軍隊からどんなににらまれても、自分の考えをかえませんでした。

第2次世界大戦が終わって8年すぎた1953年の選挙で、行雄は、初めて落選しました。もう95歳だったからです。しかし、このとき国会は、明治、大正、昭和の3代にわたって活躍した行雄をたたえて、衆議院名誉議員の名をおくりました。そして、その翌年、老衰のために死去しました。

アメリカの首都ワシントンでは、行雄が東京市長のときにおくった桜が、いまも、春にはうす桃色の花を咲かせています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 33巻「牧野富太郎・豊田佐吉」の後半に収録されている14名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開いたします。

「11月20日にあった主なできごと」

1179年  後白河法皇を幽閉…平清盛は、院政を行なっていた後白河法皇をこの日、鳥羽殿に幽閉。まもなく孫を安徳天皇にし、平氏の独裁体制を築いていきました。

1945年 ニュールンベルク裁判開始…第2次世界大戦の戦犯を裁く国際軍事裁判が、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連から選ばれた裁判官のもとに、ドイツのニュールンベルクで始まりました。この裁判で史上初めて「戦争犯罪」という考え方が明確に打ちだされました。

2001年 イチロー大リーグMVP獲得…アメリカの大リーグマリナーズのイチロー外野手は、日本人初のMVP(最優秀選手)に選ばれました。あわせて、新人王、盗塁王、アメリカンリーグ首位打者、ゴールドグラブ賞にも輝く大活躍。

投稿日:2008年11月20日(木) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)