今日11月19日は、さまざまな苦難の末に、地中海と紅海を結びインド洋へとつながる海の交通の要・スエズ運河を建設したレセップスが、1805年に生まれた日です。
フェルディナン・レセップスは、ヨーロッパとアジアを海路でむすぶスエズ運河を開いた、フランスの建設者です。
地中海と紅海を運河でつないでしまう考えは、紀元前のむかしからありました。しかし、エジプトのやけつく砂漠を掘りおこすのは、よういではありません。世界征服を夢見たナポレオンでさえ、計画はたてたものの、実行をあきらめたほどです。船によるヨーロッパとアジアとの交流は、アフリカ大陸の西を6000キロメートルも遠まわりして、おこなわれてきました。
ベルサイユに生まれ、父のあとをついで外交官になったレセップスは、1832年、地中海にのぞむアレクサンドリアへやってきました。そして、ある日のことです。
レセップスは、思いがけなく、運河建設の計画書を手にとりました。ナポレオン時代に、フランスの技師が書いたものです。古びた紙に、大きな夢がえがかれています。読んでいるうちに、レセップスの目が輝いてきました。
「すばらしい計画だ。わたしの手で、きっと実現させてみせる」
レセップスが、運河づくりの夢にとりつかれたのは、このときです。でも、大工事を進める知識や技術は、何ひとつもっていません。レセップスは、外交官の仕事のあいまにスエズへ行って土地を調べ、学者にあって運河を掘る技術を学びました。
やがて、外交官の仕事をすてました。1854年には、エジプトのサイード副王から運河を掘る許可をもらい、万国スエズ運河会社をつくって、ヨーロッパの国ぐにから資金をつのりました。
1859年4月25日、レセップスは、スエズの大地に、最初のつるはしを打ちおろしました。いよいよ、偉大な夢との闘いです。
ところが、自分の国で運河をつくって、その権利を独占しようと考えていたイギリスなどから、いろいろな妨害がとびこみました。しかし、胸に「世界の人びとのために」という大きな灯をともしたレセップスは、労働者といっしょに生活しながら、どんな苦難にも耐えぬきました。
1869年11月17日、スエズの空に、大歓声がわきあがりました。10年の歳月が流れ、地中海と紅海の水が、ついにひとつになって、世界最大の運河が開通したのです。このときレセップスは、もう64歳になっていました。
レセップスは、そのご、南北アメリカ大陸の境にある、パナマ運河の工事にも手をつけました。しかし、設立した会社がたおれたうえに工事資金をめぐる事件にまきこまれ、第2の夢にやぶれたまま、89歳の生涯を終えてしまいました。
以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 9巻「スチーブンソン・シューベルト・アンデルセン」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。
「11月19日にあった主なできごと」
1863年 リンカーン歴史的演説…南北戦争中のこの日、アメリカのリンカーンはゲティスバークで「人民の人民による人民のための政治」という演説を行ないました。これはデモクラシーの理念を明確に示すものとして、世界的に有名になりました。
1956年 東海道本線全線電化…米原、京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京、大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。