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ロシアの文豪ドストエフスキー

今日11月11日は、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪・思想家のドストエフスキーが、1881年に亡くなった日です。

1849年12月、ロシア北西部にあるペテルブルグの監獄で、革命をくわだてたという罪で死刑を宣告された20人あまりの男が、いまにも銃殺されようとしていました。いよいよ銃が火をふこうとしたその瞬間に、皇帝のゆるしがでました。男たちは命をとりとめ、そのかわりに長い懲役と軍への入隊を言いわたされて、雪と氷のシベリアへ送られて行きました。この男たちのなかに、28歳のドストエフスキーもいました。

ドストエフスキーは、1821年に、モスクワで生まれました。父は貴族の肩書きをもつ医師でしたが、家の暮らしは、豊かではありませんでした。父のすすめで、16歳のときに陸軍工兵士官学校に入学しました。しかし、子どものころから文学がすきだったドストエフスキーは学校に入ってからも詩や小説を読みつづけ、そのため、2年から3年になるときには落第してしまいました。

23歳のときに作家になろうと思って軍をしりぞき、つぎの年『貧しき人びと』を書きました。この作品はかなりの評判を得ましたが、やがて、すべての人をしあわせにしようという空想的社会主義にひかれるようになり、そのグループに加わったことがとがめられて銃殺されそうになったのです。そのご、4年の牢獄生活と5年の兵役を終えたときは、すでに38歳になっていました。

自由をうばわれ、聖書のみを読みつづけた牢獄生活は、ドストエフスキーに、人間とは何か、自由とは何か、罪とは何か、神とは何かを深く考えさせました。そして、社会の革命を考えるよりも、人間の心を見つめるようになり、獄中の苦しみをつづった『死の家の記録』を発表しました。つづいて『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などの名作を次つぎに書きあげていきました。

法律の罪をみとめず金貸しの老婆を殺した大学生が、しだいに罪の意識におびえるようになり、やがて、心の美しい少女の愛によって自首するまでの苦しみをえがいた『罪と罰』。

てんかんの持病をもちながら、人をにくむことを知らない純粋な男が、いつのまにか、よごれた社会にまきこまれて死んでいく、人間の悲劇をえがいた『白痴』。

父親殺しをめぐる3人の兄弟のにくしみと愛をとおして人間の精神をさぐり、最後の長編となった『カラマーゾフの兄弟』。

60年の生涯でドストエフスキーが問いつづけたものは、人間の心、魂にひそむ矛盾と目に見えない神の存在でした。

なお、『罪と罰』と並びドストエフスキーの最高傑作といわれる『カラマーゾフの兄弟』は、今なお世界中で人気があり、わが国でも2006年から2007年にかけて、古典文学としては異例のベストセラーとなっています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 10巻「リンカーン・ダーウィン・リビングストン」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「11月11日にあった主なできごと」

1620年 メイフラワーの誓い…2か月前にイギリスのプリマス港を出航したメイフラワー号は、この日北メリカのケープコッドに到着。ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖のことで、アメリカに渡ったイギリスの清教徒たち)と呼ばれる移民たちは船上で、自治の精神に基づき自由で平等な理想的な社会を建設することをめざす誓いをかわしました。こうして、1620年から1691年までの北アメリカにおけるイギリス植民地のさきがけとなるとともに、その精神はアメリカ民主主義の基となりました。

1918年 第1次世界大戦終結…前年アメリカ合衆国の参戦により、決定的に不利となったドイツは、この日休戦条約に調印。第1次世界大戦が終結しました。

投稿日:2008年11月11日(火) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)