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宗教改革のルター

今日11月10日は、ドイツの宗教家で、免罪符を販売するローマ教会を批判し、ヨーロッパ各地で宗教改革を推し進めたルターが、1483年に生まれた日です。

16世紀の初め、ローマ教会は、キリスト教の信仰を形だけのものにして、思いのままに権力をふるっていました。マルチン・ルターは、心の底からキリストを信じるすがたこそ正しいとうったえ、宗教改革をおこした人です。

ルターは、中部ドイツのアイスレーベンに生まれました。きびしい父のすすめにしたがい、大学で好きでもない法律の勉強をしていました。しかし、いつでも人生をどう生きるか考えて、心の苦しみが増していくばかりでした。自分は何をすべきなのか迷いつづけていたある日、町を歩いていたルターは、突然の雷雨に出会い、死の恐怖におののきました。そしてのこりの人生は、神のために費やそうと決心したのです。

突然の決意に、父親やまわりの友人は驚き、必死にルターをとめました。どなりつけたり、静かに説得したり、あらゆる方法でルターの心を動かそうとしました。しかし、まったく通じません。

とうとう修道院に入ってしまったルターは、心の平安を求めて、苦しい修行の毎日を送ります。徹夜で神に祈り、断食をくりかえし、きびしい生活でした。でも、満足な結果は少しも得られません。それどころか、これまでの修行は、自分のために神を利用する、いつわりの信仰だったのだと悩み、絶望してしまいました。ルターは、もう二度と立ち上がれないほどの、どん底の悲しみに落ちこんでしまったのです。

まっ暗やみの中からひとすじの光明をみいだす時がきました。

「わたしが神を選んだのではなく、神がわたしを選ぶのだ」

ルターは、自分のつごうのよい時だけ神を信じるという考えを恥じました。そして、人は神の深い愛を信じ、すべてをゆだねなくてはならないという結論に初めて満足しました。

そのころローマ教会は、寺院を建てるお金を作るために、免罪符の販売を始めました。免罪符を買えばいままでの罪はすべて許されるというのです。宗教を金もうけの道具にしているのをみてルターは嘆きました。ローマ教会は、国王も頭が上がらないほどの権威をもっていましたが、ルターはためらわずに、まちがいを批判しました。たった一人で反対意見をさけびつづけるのは、たいへんなことです。しかし、ルターが真剣に道を求めるすがたは、人びとの心をとらえずにはおきません。しだいにルターの声に耳を傾ける人がおおくなり、歴史的な宗教改革となりました。伝統的にうけつがれてきたキリスト教を旧教とよぶのに対して、ルターの改革した流れを新教とよびます。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 4巻「ジャンヌダルク・コロンブス・マゼラン」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「11月10日にあった主なできごと」

1871年 スタンリーがリビングストンを発見…アメリカの新聞記者スタンリーは、行方不明になっていた探検家リビングストンを追い、アフリカ奥地で236日ぶりに発見しました。

1873年 内務省の設置…明治政府の実質上の中枢である内務省が設置され、大久保利通が初代内務卿に就任。警察、地方行政など対民衆行政のすべてを掌握することになりました。

1928年 昭和天皇即位…京都御所で、昭和天皇の即位式が行なわれました。27歳で即位した天皇は、60年以上の在位期間に、太平洋戦争敗戦、玉音放送、人間宣言など、激動の時代を歩むことになりました。

1989年 ベルリンの壁崩壊…東ドイツ政府が前日、東ドイツ市民に対して旅行の自由化を発表したことによって意味をなさなくなったベルリンの壁を、東西ベルリン市民たちはハンマーなどで粉砕しました。このニュースは世界中に感動と歓喜を生み出し、驚くべき早さでドイツが再統一される原動力となりました。

投稿日:2008年11月10日(月) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)