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オスマン帝国の全盛期を築いたスレイマン

今日11月6日は、オスマン帝国第10代スルタンとして13回にもおよぶ遠征の末、地中海の制海権をにぎって「世界の帝王」と呼ばれたスレイマンが、1494年に生まれた日です。

1923年に共和国となったトルコは、それ以前は国の名をオスマン帝国とよんでいました。1299年にオスマンという人によって建国された国だったからです。

スレイマンは、そのオスマン帝国の、第10代めの帝王です。1494年に黒海のほとりで生まれ、26歳のときに父のあとをついで、このイスラム教国家の支配者になりました。

「キリスト教の国ぐにに負けない、大帝国をきずくのだ」

世界征服の夢をいだいていたスレイマンは、帝王になったつぎの年から、はやくも大軍をひきいてヨーロッパへの遠征を始めました。そして、40数年のあいだに13回もの遠征をくり返し、領土を広げていきました。

まず初めにベオグラード、ロードス島を手中におさめ、そのごハンガリー王国の都市をせめ落とし、オーストリアの首都ウィーンにも進入して、ヨーロッパの国ぐにをおそれさせました。

スレイマンの軍隊は、活躍をつづけ海上の戦いでも、帝国の名をとどろかせました。

「貿易を活発にするためには、海も征服しなければならない」

強力な艦隊をつくりあげたスレイマンは、地中海の大海賊バルバロスを司令官に任命しました。そして、アドリア海で大海戦をくり広げてヨーロッパの国ぐにの艦隊をやぶり、オスマン帝国を囲む海のすべてを自分のもののようにしてしまいました。そのうえ、地中海に浮かぶ島じまも攻げきして手に入れ、さらに、海上からもイタリアやエチオピアなどの国にせめ入って、海にのぞんだ国ぐにをふるえあがらせました。

しかし、スレイマンは、よその国に遠征ばかりしていたわけではありません。国内の政治にも、広い目をむけ、おおくの法律をつくり、社会の秩序をととのえました。産業をさかんにして力をたくわえ、国の文化を高めるために、芸術や、国民の教育をたいせつにしました。さらに、おおくの寺院を建て、イスラム教国家の建設に力をそそぐことによって、国民の心をひとつにまとめました。その結果オスマン帝国は、このスレイマンの時代に最も栄え、のちに世界の人びとは、この時代をトルコの時代とさえよぶようになりました。

スレイマンは、1566年、最後のハンガリー遠征中に病気でたおれ、72歳で、世界の帝王とたたえられた生涯を終わりました。オスマン帝国は、この帝王を失ってからはしだいに国の政治がみだれ、軍隊の力も弱まり、スレイマンが征服した領土もつぎつぎに失ってしまいました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 4巻「ジャンヌダルク・コロンブス・マゼラン」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「11月6日にあった主なできごと」

1945年 財閥解体…太平洋戦争敗戦後に日本を占領し、間接統治を行なっていたGHQ(連合国軍司令本部)は、三井、三菱、住友、安田など15財閥83社の解体を指令しました。これらの財閥が、日本経済をささえ戦争をすすめる原動力になっていたと判断したためです。

1956年 スエズ戦争停戦…スエズ運河の国有化宣言をしたエジプトに対し、イギリスとフランスが反対を決議。さらにエジプトと対立関係にあったイスラエル軍がエジプトに侵入したのをキッカケに、英仏軍も武力攻撃を開始してスエズ戦争(第2次中東戦争・スエズ動乱)が始まりました。エジプトの抵抗、アラブ諸国のエジプト支持、国際連合の批判などにより、この日英仏は軍隊を引き上げることに同意しました。

投稿日:2008年11月06日(木) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)