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奈良時代最大の学者・政治家 吉備真備

今日10月2日は、下級官吏の家に生まれたにもかかわらず、努力のかいがあって唐への留学生に抜擢され、さまざまな学識を蓄え、奈良時代に輩出した最大の知識人・政治家といわれる吉備真備(きびの まきび)が、755年に亡くなった日です。

717年、阿倍仲麻呂といっしょに遣唐船に乗ったときの吉備真備は、仲麻呂よりも少し年上の23歳くらいでした。

「唐でしっかり学んで日本へ帰れば、朝廷につかえて、高い位にのぼることができる」

高い文化が栄える唐の国へ入った真備は、生まれつきの頭のよさのうえに努力をかさねて、あらゆることを学びました。

人と政治の道を説く儒学、秩序正しい国を作るための法律、それに、兵学、天文学、暦学、音楽にまで手をのばし、唐の役人たちをおどろかせました。そして、18年のちの735年に日本へもどったときには、たくさんの書物、めずらしい武器、日時計、楽器などを持ち帰って朝廷へささげ、こんどは日本の役人たちをおどろかせました。

42歳の真備は、役人を養成する大学寮の大学助(だいがくのすけ)にとりたてられ、数年のちには、学問を皇女、皇太子に教える中宮亮(ちゅうぐうのすけ)、東宮学士へ、さらに50歳をすぎると都を治める右京大夫へ出世しました。

ところが、まもなく朝廷で公卿の藤原仲麻呂が権力をふるうようになると、真備は、筑前守として北九州へ下らせられ、およそ15年間、九州各地の武人たちに兵学を教えながら、都の文化からはなれてすごさねばなりませんでした。

ただ、このあいだに、こんどは遣唐副使として、ふたたび唐へ渡り、20年ちかくもまえ別れた阿部仲麻呂と会えたことは、しあわせでした。でも、日本へもどるとちゅうに大あらしにあい、いっしょに日本の土をふむはずだった仲麻呂とは、またも、はなればなれになってしまいました。

764年、真備は造東大寺長官を命じられて、やっと奈良の都へ帰りました。そして、まもなく反乱を起こした藤原仲麻呂がほろびると、中納言から大納言へ、さらには、天皇を助けて国の政治をおこなう右大臣の位までのぼり、775年に亡くなりました。政治家になった真備は、わがままな権力をふるうようなことはなく、いつも、貧しい農民たちのことを心配したといわれています。

694年ころ、備中国(岡山県)の下級官吏の子に生まれた真備は、若いころから学問で身をたて、奈良時代の最高の知識人とたたえられるほどになりました。それは、長いあいだ、唐の国でさまざまのことを学ぶことができたからです。このころの日本が、中国に栄えた隋や唐などから教えられたことの大きさは、はかりしれません。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)19巻「聖徳太子・中大兄皇子」の後半に収録されている14名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「10月2日にあった主なできごと」

1855年 安政の大地震…夜10時頃、江戸(東京)を震源とするマグネチュード6.9の大地震がおこりました。江戸城の石垣が崩壊したほか、30数か所から火が出て浅草、下谷、本所、深川など下町を中心に死者約4300人、倒壊家屋約1万戸など大きな被害をもたらしました。この地震で水戸藩主徳川斉昭の腹心の学者藤田東湖が圧死しました。

1943年 学徒出陣公布…太平洋戦争での兵力不足を補うため、また戦局悪化により下級将校の不足も顕著になったため、26歳まで徴兵猶予されていた20歳以上の学生を、在学途中で徴兵し出征させると公布しました。そして、10月と11月に徴兵検査を実施して合格者を12月に入隊させることにしました。

1961年 柏鵬時代の始まり…大相撲の柏戸・大鵬両大関が、この日そろって横綱に昇進。前年までの栃錦、若乃花による「栃若時代」に替わって、大型若手横綱の登場に大きな盛り上がりをみせました。

投稿日:2008年10月02日(木) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)