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「心学」 の祖・石田梅岩

今日9月24日は、正直、倹約、堪忍という徳目をわかりやすく示し、町人の道を教える 「心学」 をはじめて説いた江戸時代中期の学者 石田梅岩(ばいがん)が、1744年に亡くなった日です。

1685年、丹波国(京都府)の農家に生まれた梅岩は、10歳のとき京都の商家に奉公にだされ、一時は、奉公先がおちぶれて帰郷しましたが、22歳の年に、ふたたび京へでて呉服商にやとわれました。

そのころ、京都や大坂(大阪)では、幕府がおかれている江戸とともに商業が活発になり、商人を中心にした町人社会が栄えはじめていました。しかし、幕府が定めた士農工商の身分制度によって、工・商にたずさわる町人は、農民と同じように、武士にくらべると、すべてのことに差別されていました。

梅岩は、商売のかたわら、神道、儒教、仏教などを自分の力で学んでいきました。町人への差別を不満に思い、人間が人間らしく、町人が町人らしく生きる道を求めたからです。35、6歳ころからは、人の道を説く儒者たちの教えにも耳をかたむけ、自分の考えを深めていきました。

ある日、梅岩は家の前に張り紙をだしました。

「学問のすきな人は、だれでも遠慮なく、わたしの話をききに、おいでください。お金はいりません」

人間のほんとうの心のあり方をさぐりあてた梅岩は、それを世の中に広める決心をしたのです。

「町人として、りっぱに生きていくためには、正直、倹約、堪忍の3つを、心がけなければいけません……」

むずかしい学問を説くのではありません。梅岩の口からもれるのは、どんな人の心にもしみ入る、やさしい教えでした。梅岩が語るだけではなく、考えることの大切さをさとらせるために、町人どうしで話しあいもさせました。また、人の生き方を説きながら、商人として守らなければならないことも教えました。梅岩は、もうけさえすればよいという商人の考えには、反対だったからです。このほか、養父養子の義理や財産相続の問題など、町人の日常の生活に必要なことも教えました。

44歳のときには『都鄙(とひ)問答』4巻を著わして、それまで説いてきたことを世にだしました。また、手島堵庵(とあん)をはじめおおくの門人を育て、それぞれ道場を開かせて、さらに全国各地へ教えを広めさせました。のちに道場は200あまりを数えるほどになったということです。

梅岩は、59歳で、心学にささげた一生を終えました。町人のなかから芽ばえた学問が、これほど広く人びとに受け入れられたことは、かつてなかったことでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 28巻「塙保己一・良寛・葛飾北斎」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「9月24日にあった主なできごと」

1877年 西郷隆盛「西南戦争」に敗れて自殺…木戸孝允と大久保利通とともに倒幕・維新に尽力した「維新の三傑」の一人とうたわれた西郷隆盛は、士族(もと武士)たちの不満を解消させるために征韓論を主張しましたが、木戸、大久保らに反対されたため、明治政府の要職をすてて郷里鹿児島へかえりました。私塾を開いているうち、やがて下級士族たちにかつがれて8か月にわたる西南戦争をおこしました。西郷軍は政府軍と奮闘しましたが、最新式武装をした政府軍の力に及ばす、最期をさとった西郷は、たてこもった城山で、腹心に介錯を頼み自刃しました。なお、西郷隆盛の詳しい生涯につきましては、いずみ書房ホームページで公開している・オンラインブック「せかい伝記図書館」の「西郷隆盛」をご覧ください。

1965年 みどりの窓口開設…国鉄(いまのJR)は、コンピューターを使った指定券発売の窓口「みどりの窓口」を全国152の主要駅と日本交通公社(現・JTB)の83営業所に設置しました。これにより、長い時間待たされたり、ダブルブッキングがほとんど解消されました。

投稿日:2008年09月24日(水) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)