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盲目の国学者・塙保己一

今日9月12日は、江戸時代の後期に国史や国文学を研究する「和学講談所」を開いて門人を育て、「群書類従」という、わが国有史以来の文献のうち価値ある研究資料3373点を25部門に分類した叢書を著した、盲目の国学者塙保己一(はなわ ほきいち)が、1821年に亡くなった日です。

わが国の盲人は、世の中ではあまり活躍する場が開かれていません。幼少の頃から視力が弱く、5歳のころに失明した塙保己一もまた、琵琶を弾く腕をみがいて音曲のわざで身を立てるか、あんま(マッサージ)などの技術を身につけて生業につく以外にないと、15歳で雨富検校の門人となりました。検校(けんぎょう)というのは、そのころ盲人の最高の官位です。

門人になったはものの保己一は、あんまも音曲などの修行も、どれも上達せず、絶望して自殺しようとしたとさえ伝えられています。でも、師の雨富検校は、保己一をあたたかく思いやり、保己一がやりたい道を選ばせてくれました。そのころの保己一の楽しみは、本を読み聞かせてもらうことでした。近所に住んでいた一人の武士が、保己一の学問好きなことを知って、その願いをかなえてくれたのです。

こうして保己一は、検校らのはげましや、学者として著名な賀茂真淵らに教えを受け、努力に努力を重ねた上で学者になり、今も高く評価されている「群書類従」六百数十冊という驚異的な偉業をなしとげることになりますが、詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「塙保己一」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。

「9月12日にあった主なできごと」

1571年 延暦寺の焼き討ち…織田信長は、比叡山延暦寺を攻め、堂塔を焼き払い、僧徒らを皆殺しにしました。領地をめぐる確執から、近江の浅井氏、越前の朝倉氏の軍勢を延暦寺が受け入れたこと、延暦寺が広大な寺領を誇り、大勢の僧兵をかかえて信長に反抗的だったのが原因でした。

1872年 新橋-横浜間に鉄道が開通…新橋と横浜をむすぶ約29kmでわが国初の鉄道が開通、この日明治天皇を乗せた祝賀列車が走りました。翌日から旅客や貨物の輸送がはじまり、これまで1日かかったところを53分に短縮しました。上り下り共毎日8往復、料金は1円42銭5厘、75銭、37銭5厘の3階級でした。

1940年 ラスコーの壁画発見…フランスの子ども4人が遊んでいるうち偶然に発見。洞窟の側面と天井面には、たくさんの馬や山羊、野牛、鹿などの絵があり、旧石器時代後期(1万5000年ほど前)のクロマニョン人によって描かれたものと推定されています。

1960年 浅沼稲次郎暗殺事件…東京・日比谷公会堂で行なわれていた自民党・社会党・民社党3党党首立会演説会で、演説中の社会党(現社民党)委員長浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年に暗殺されました。

投稿日:2008年09月12日(金) 09:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)