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資本主義国との共存をめざしたフルシチョフ

今日9月11日は、ソ連の政治家で、資本主義国と平和共存を図ったことで知られているフルシチョフが、1971年に亡くなった日です。フルシチョフは、スターリンの死後、ソ連の最高指導者となり、スターリン批判によって、その独裁と恐怖政治を世界に暴露して世界に衝撃を与えたことも特筆されます。

ニキータ・フルシチョフは、20世紀の、ソ連の政治家です。1894年に、ウクライナの炭鉱労働者の家に生まれ、初等教育を終えると、すぐ、炭鉱や工場ではたらきはじめました。フルシチョフが11歳のときに第1次ロシア革命、23歳のときに第2次ロシア革命(10月革命)がおこり、皇帝が支配した国の政治がくずれて、社会主義のソビエト政府が生まれました。

少年時代から労働者の社会に入ったフルシチョフが、この革命の影響を強くうけたのはとうぜんです。24歳でロシア共産党に入り、はたらきながら政治運動にくわわりました。4年後、28歳になったフルシチョフは、党から、ソビエト労働者学校に学ぶことがゆるされました。また、35歳のときにはモスクワのスターリン記念工業大学に学ぶこともゆるされ、大学卒業後、モスクワ市の党委員会書記に任命されて、政治家への道を歩みはじめました。そして、党の組織をかためる仕事のかたわら、モスクワの地下鉄の建設に力をつくし、地下鉄が完成した1935年にはレーニン勲章をうけました。

フルシチョフが、ソビエト社会主義共和国連邦のなかで大きな力をもつようになったのは、30年にわたって政権をにぎってきたスターリンの時代が、1953年に終わりをつげてからです。

「スターリンの独裁的な政治には、権力のゆきすぎがあった」

まず、スターリンをひはんすることから始めたフルシチョフは、やがて1958年には首相となり、国民の生活を豊かにすることを考えるいっぽう、積極的な外交政治にのりだしました。

「戦争は、さけることができる。われわれは、資本主義の国ぐにと、平和的に競争し、共存していく」

党大会で、このようにさけんだフルシチョフは、1959年にはアメリカのアイゼンハウアー大統領、さらに2年後にはケネディ大統領と会談して、ソ連とアメリカの友好を強めました。ところが、1962年に、カリブ海のキューバにソ連のミサイル基地をつくろうとしたことから、いまにも、アメリカとのあいだに戦争がおこりそうになりました。このときフルシチョフは、キューバの共産政府にアメリカが口だししないことを条件に、ミサイル基地の建設をとりやめて、危機をのりこえました。

しかし、2年後の1964年には、書記と首相の地位を追われてしまいました。資本主義国との共存に目をむけすぎて、中国との仲を悪くしてしまったことや、農業の発展に失敗したことなどが、強いひはんをあびてしまったのです。資本主義国との平和共存。これがフルシチョフの残した最大のものでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 18巻「毛沢東・ディズニー・ケネディ」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「9月11日にあった主なできごと」

1900年 初の公衆電話設置…それまでは電話局にのみおかれた公衆電話が、この日東京の新橋駅と上野駅の通路に設置されました。当時は「自働電話」と呼ばれ、交換手を呼びだしてからお金を払って、相手を呼びだしてもらうしくみでした。ちなみに通話時間は5分、料金50銭、東京市内限定だったそうです。

1947年 教科書の検定制度…1886年の「小学校法令」で国定教科書(政府が定めた教科書)が使用されてきましたが、この日教科書検定制度を発表、文部省(現文部科学省)が認めたものだけを教科書に採用することになりました。この検定制度は憲法違反に当たると、家永三郎氏は国を相手に裁判をおこしましたが、32年間にもわたる審議の結果、1997年に敗訴が確定しました。

2001年 同時多発テロ事件…アメリカでハイジャックされた旅客機3機が、ニューヨークの世界貿易センタービル(ツインビルに各1機)とワシントンの国防総省(ペンタゴン)に突入、数千人の死者を出す大惨事となりました。ブッシュアメリカ大統領は、この犯人をウサマ・ビンラディンを首謀者とするイスラムのテロ組織アルカイダと断定し、潜伏するアフガニスタン政府に引渡しを要求。しかし、彼らを保護するタリバン側が拒否したことから、アメリカはアフガニスタンを攻撃しました。

投稿日:2008年09月11日(木) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)