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自然主義文学者・詩人の島崎藤村

今日8月22日は、[まだあげ初めし前髮の/林檎のもとに見えしとき・・・] ではじまる「初恋」をおさめた処女詩集『若菜集』や、[小諸なる古城のほとり・・・] ではじまる「千曲川旅情の歌」、[名も知らぬ遠き島より・・・] 唱歌として有名な「椰子の実」などをおさめた詩集『落梅集』で、近代詩に新しい道を開き、のちに「破戒」や「夜明け前」などを著した作家 島崎藤村(とうそん)が、1943年に亡くなった日です。

島崎藤村は、明治の初めに、むかしの中山道(木曾街道)にそった長野県馬籠村に生まれました。生家は、長く、村をとりしきる庄屋や、大名がとまる本陣などをつとめてきた、歴史のある家でした。しかし、藤村が生まれたころには、消えていく古い時代とともに、家もしだいにおちぶれ始めていました。

藤村は、9歳のときに、兄といっしょに馬籠をはなれて、東京へでました。そして、しばらく姉のもとに住んだのちは、見知らぬ実業家の家へあずけられ、気づまりな思いをしながら、少年時代をおくるようになりました。小学校の卒業が近くなったころ、ナポレオンの伝記を読んで心をうたれ、自分も政治家になる夢をいだいたということです。

ところが、15歳で明治学院へ入学して、キリスト教や西洋の新しい思想にふれ、さらに、なかまと文学や宗教を語りあうようになってからは、政治家へのあこがれなどはすてて、人間の心を見つめる孤独な人間へとかわっていきました。やがて、小説、詩、古典を読みふけるうちに、自分の進む道は文学だと心に決めたのは、19歳のころだったといわれます。

明治学院を卒業した藤村は、明治女学校の教師をつとめるかたわら、文芸雑誌『文学界』の創刊にくわわり、その創刊号に戯曲や詩を発表して、長い文学生活の第一歩をふみだしました。

まず、名を高めたのは、詩人としての藤村です。女学校の教え子との悲しい恋や、文学の友、北村透谷の自殺などに苦しんだ藤村は、東北学院の教師となって仙台へのがれ、1年ごに、初めての詩集『若菜集』を世に送ったのです。そして、27歳のときに長野県へ移り、小諸塾の教師として生活をたてながら、2年ごにを発表すると、日本の近代詩の誕生に灯をともした詩人として、たたえられるようになりました。

1905年、33歳の藤村は、東京へとびだしました。詩をとおして自然や青春や人生の美しさ悲しさを見つめることから、さらに進んで、小説家として、自分や社会と強くたたかっていくことを決心したのだといわれています。このとき小諸をはなれる藤村の手には、差別される人間の苦悩をえがいた名作『破戒』の、書きかけの原稿が、しっかりにぎられていました。

そのごの藤村は、小説家の地位をきずいた『破戒』につづいて『春』『家』『新生』『夜明け前』などを書きつづけ、人間と社会のすがたをありのままにえがく自然主義文学を、かがやかしくきずいていきました。藤村が世を去ったのは、日本が戦争に負ける2年まえです。自分にきびしい芸術家でした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 34巻「夏目漱石・野口英世」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。なお、島崎藤村の詩や小説のほとんどは、青空文庫で読むことができます。

「8月22日にあった主なできごと」

1903年 日本初の路面電車は1885年京都に開業していましたが、首都東京に [♪汽笛一声新橋を…] と鉄道唱歌に歌われる、新橋〜品川間の路面電車の営業が開始されました。

1910年 日本は明治のはじめころから、朝鮮半島を勢力範囲にしようと乗りだしていましたが、日清戦争・日露戦争に勝利してからは次第に植民地化をしていきました。やがて軍事、外交、警察権を奪うばかりか内政にまで干渉するようになったことに対し、反日運動が強まり、1909年には初代統監となった伊藤博文射殺事件がおきました。日本政府はこれを期に、朝鮮政府に圧力をかけ、この日、日韓併合の条約に調印をさせました。こうして、朝鮮は日本の植民地になっていったのです。

1981年 台北市に本拠をおいていた遠東航空の旅客機が、台北-高雄間を飛行中に空中分解して墜落、乗員乗客110人が全員死亡しました。この中に直木賞作家の向田邦子が含まれていて、日本社会に衝撃がおこりました。

投稿日:2008年08月22日(金) 09:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)