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鋼鉄王・カーネギー

今日8月11日は、鋼鉄で利益をあげた大実業家であり、公共図書館や大学、カーネギーホールの建設など公益事業に力をそそいだ社会事業家カーネギーが、1919年に亡くなった日です。

19世紀にアメリカの鉄鋼王といわれたアンドルー・カーネギーは、1835年に、イギリス北部のスコットランドで生まれました。家は貧しく、父は、手織物の職人でした。

カーネギーが13歳になったとき、家族は、大西洋を越えてアメリカへ渡りました。人間の手のかわりに蒸気の力で動かす機械が発明されて、産業革命とよばれた時代が進み、父の手織りの仕事がなくなってしまったからです。

「少しでも、かあさんを、らくにしてあげよう」

心のやさしいカーネギーは、母を助けるために、ぼうせき工場の糸巻きやかまたき、電信会社の電報はいたつ係や電信技術者などをして、大人にまじってはたらきました。

学校へは行けませんでした。でも、図書館の本で勉強をつづけ、歴史も文学も科学も、自分の力だけで学びました。

17歳で父が亡くなると、つぎの年にはペンシルバニア鉄道会社へ入り、1861年に、黒人どれいの解放をめぐって南北戦争が起こったときには、26歳の若さで北軍の軍用鉄道と電信の総かんとく官をつとめるほどになっていました。

1865年までつづいた南北戦争で、鉄道が破かいされるのを見たカーネギーは、大きな決心をしました。

「これからは鉄道がもっとたいせつになる。それには質のよい鉄が必要だ。よし、自分で、鉄道と製鉄の会社をおこそう」

そのごのカーネギーは、鉄橋会社、機関車製作所、製鉄所などを次つぎにつくり、やがて、イギリスで新しく開発された製鋼法をとり入れて鉄鋼業一本にとりくみました。そして、さらに鉄鉱山も手に入れ、45歳をすぎたころには、アメリカの鉄鋼の半分以上を生産する力をそなえて、ついに鉄鋼王とたたえられるようになりました。

ところが、1901年、66歳のカーネギーは、すべての事業の権利を売りはらって、鉄鋼の業界からしりぞきました。大きな競争相手が現われ、経営がむずかしくなったからです。

「鉄でもうけたお金で、社会事業に力をつくそう」

カーネギーは鉄鋼王から社会事業家へ身をかえ、もういちど大きな人生を歩み始めました。公共図書館や大学の建設、教育や科学の発展を推進するための財団の設立、国際平和運動を進めるための援助、ニューヨークの音楽会場カーネギー・ホールの完成など、その社会事業は数えきれません。

金持ちは富を世のために使う義務があると考え、それを実行したカーネギーは、鉄鋼王である以上に偉大な人間でした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 12巻「ファーブル・トルストイ・ロダン」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年08月11日(月) 09:19

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)