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ヤジさんキタさんの十返舎一九

今日8月7日は、「東海道中膝栗毛」などで知られる江戸時代後期の戯作(げさく)者・十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)が、1831年に亡くなった日です。

江戸の遊び場にやってくる町民たちのすがたを、しゃれた会話を中心にしてえがいた「洒落本」。社会風刺をもりこんだ物語に黄色の表紙をつけた「黄表紙」。町民たちのふだんの生活や遊びを、たくみな笑いをおりまぜて小説にした「滑稽本」。

18世紀の終わりごろからのちの江戸時代に、町人社会の発展にともなって、このような文学がたいへん流行しました。

十返舎一九は、その代表的な戯作者です。弥次郎兵衛と喜多八のふたりが、つまらないことで大失敗をくり返しながらつづける旅を、さまざまな土地のおもしろい風習やことばをおりこんでつづった『東海道中膝栗毛』の作者、と言ったほうが早いのかもしれません。

一九は、幼名の市九からとって名のるようになった号です。駿河国(静岡県)で生まれた一九は、20歳をすぎるころまでは武家に奉公しましたが、やがて、職をすてて浪人となり、24歳のときに大坂(大阪)で浄瑠璃を書く仲間に加わって、戯作者への道を歩み始めました。

29歳で、江戸へでて、書店へ住みこみました。でも、初めの1年あまりは雑用係でした。ところが、文だけではなく絵も自分でかいて黄表紙『心学時計草』を出版すると、たちまち名が知られるようになりました。そして、結婚して自分の家をもってからは、黄表紙のほか洒落本もぞくぞくと世におくりだしました。まず、人びとをおどろかせたのは、その筆の早さでした。

そのうえ、遊び場に集まる人たちの欲望、人情、恋、あわれさなどをえがいた洒落本の文章は、まるで、遊び場のようすが目に見えるようにおもしろく、江戸じゅうの町人たちの心をひきつけました。しかし、世の中のことをおもしろくえがくことはできても、自分の家庭は、うまくいかなかったようです。

『東海道中膝栗毛』を発表し始めたのは、37歳のときからです。初めは、弥次さん喜多さんの、江戸から京都、大坂までの旅でやめるつもりでした。ところが,あまりの人気に、金毘羅詣、安芸宮嶋詣から木曾街道、善光寺、草津温泉を通って江戸へもどるまでの『続膝栗毛』を書きつづけ、書き終わったときは、57歳になっていました。21年間も膝栗毛にとりくんだのです。

滑稽本の形を完成させた一九は、社会を風刺した狂歌も作り、歴史や伝説から話をとった読本も書き、66歳で亡くなりました。読みものでは人びとに笑いをふりまきましたが、一九自身は、まじめで、むしろ気むずかしいほどの人だったと伝えられています。原稿料だけで生計をたてた、日本最初の人でした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 29巻「小林一茶・間宮林蔵・二宮尊徳」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年08月07日(木) 09:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)