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松下村塾の吉田松蔭

今日8月4日は、幕末期の長州藩士で、明治維新前後に活躍する多くの人材を育てた「松下村塾(しょうかそんじゅく)」を主宰した吉田松蔭(しょういん)が、1830年に生まれた日です。

幕末の動乱期には、大勢の志士が活躍しましたが、なかでも松蔭はすぐれた学者として、政治の指導者として、また高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、井上馨、山県有朋、伊藤博文らを育てた教育者として、その名は歴史に深くきざまれています。

1830年、長州藩の下級武士の次男に生まれた松蔭は、4歳のとき、山鹿流の兵学をつたえる吉田賢良の養子になりました。まもなく賢良が急死したため、松蔭は吉田家の学問を受けつぐ使命をおわされました。さっそくおじの玉木文之進から学問をきびしくたたきこまれました。猛れつなつめこみ教育でしたが、松蔭はこれにこたえ、9歳のころには神童ぶりがうわさされるようになりました。10歳のとき、うわさを聞いた藩主毛利敬親の前で『武教全書』を講義したと伝えられています。

頭がよいうえに、努力をおしまなかった松蔭は、18歳で藩校明倫館の師範になりました。1850年、世界の大勢に目をそそぐ必要を感じて長崎に遊学し、ひきつづきよく年には江戸に出て佐久間象山らに学びました。

「山鹿流の兵学はもう古い。西洋学を学ばなくては遅れるよ」

象山にこう説かれて松蔭は苦しみました。そして、藩のゆるしを受けずに、東北をめぐる旅で苦しみをまぎらそうとしました。しかし、旅から江戸に帰ると、藩から帰国を命じられました。脱藩の罪に問われ、禄をうばわれて師範の役目もとりあげられたのです。なんとか10年間の諸国留学のゆるしを受けた松蔭は、1853年ふたたび江戸に出て、象山から洋学を学びました。

世の中はちょうど、ペリーの艦隊が浦賀(神奈川県)にきて、大さわぎしているときでした。アメリカの軍艦を見た松蔭は、西洋人の文明がたいへん進んでいるのにおどろきました。そしてついに、象山のすすめもあって、海外渡航を決意するのです。たまたま長崎に入港したロシア軍艦にのりこもうとしましたがまにあわず、1854年、ふたたび来航したペリーの軍艦に命がけで近づきました。しかし、必死のたのみも受け入れてもらえず、おいかえされて、松蔭は長州藩の獄につながれることになりました。でも、牢のなかでは、勉強する機会を天が与えてくれたと読書にふけり、世をすねた囚人たちに学問を教えました。そんな態度がりっぱだったため、藩は松蔭を牢から出しました。

しかし、塾がひらかれたのは、1859年に松蔭をはじめ数おおくの志士たちが死刑となる「安政の大獄」までの、わずか2年半の間だけでした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 31巻「福沢諭吉・豊田佐吉」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。
 

投稿日:2008年08月04日(月) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)