今日8月2日は、聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明したベルが、1922年に亡くなった日です。
1876年3月10日、自分と助手が3階と地下室にわかれ、その間に電線を引いて電話実験の準備をしていたベルは、薬品のかんをひっくり返して、思わず大きな声をだしました。
「ワトソンくん、すぐきてくれたまえ」
ベルは、助手のワトソンが自分の部屋にはいないことを、つい忘れていました。ところが、まもなくワトソンが「聞こえた、聞こえた、聞こえた」と叫びながら、3階へ、かけのぼってきました。受話器をあてていたワトソンの耳に、ベルの声がつたわってきたのです。
「ついにやった、電話機の発明に成功したんだ」
ふたりは、だきあい、とびあがってよろこびました。
アレクサンダー・グレアム・ベルは、1847年に、イギリス北部のエジンバラで生まれました。父は、口や耳が不自由な人たちの会話を研究する学者でした。
ベルも、父の仕事のえいきょうを受けて、少年時代から話すこと聞くことに興味をもち、犬にことばを教えてとくいになったこともありました。大学では、音声について学びました。そして、卒業ごはアメリカへ渡り、耳の聞こえない子や口のきけない子に、話のしかたを教えるようになりました。
仕事のかたわら、電信の研究にもとりくんでいました。そして、あるとき、電磁石を使って声を電気で送ることを思いつき、電話の研究を始めたのです。数えきれないほどの失敗をのりこえて、助手のワトソンに「聞こえた」と叫ばせたのは、研究を始めて5年めのことでした。
さて、その年にフィラデルフィア市で開かれた大博覧会でのことです。博覧会を見にきていたブラジルの皇帝が、おかしな機械の前で、気味悪そうにつぶやきました。
「これはふしぎだ、機械がものをいう」
ベルが、すこしはなれたところから、送話器に「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と有名な『ハムレット』のなかのことばをしゃべったのです。
ものをいう機械は、最高の賞をもらい、電話が発明されたというニュースは、またたくまに世界じゅうに広まりました。
そのごのベルは、ベル電話会社をつくって電話事業の発展に力をつくし、エジソンが発明した蓄音機の改良なども手がけて1922年、75歳の生涯を閉じました。大発明家、大事業家とたたえられるようになっても、口や耳の不自由な人たちのことを忘れないあたたかい心を、死ぬまでもちつづけました。
なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 12巻「ファーブル・トルストイ・ロダン」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。