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すぐれた童話をのこした農民詩人・宮沢賢治

今日8月1日は、「雨にも負けず」 などの詩や 「風の又三郎」 「銀河鉄道の夜」 「セロ弾きのゴーシュ」 などの童話の作者として有名な宮沢賢治」が、1896年に生まれた日です。

「注文の多い料理店」 も、賢治の童話の一つで、次のような内容です。二人の紳士が猟にでました。でも、1匹も獲物がとれないので、山を下りようとしたところ、「山猫軒」というレストランがあるので、のぞいてみることにしました。すると、「当店は注文の多い料理店です」とガラス戸に書いてあります。中に入ってみると、いくつも扉があって、そこには必ず何かが書いてあります。「鉄砲と弾丸をここにおいて」とか「帽子と外套と靴をぬいで」とか「クリームを顔や手足にぬって」とあり、二人は勝手な想像をしながら、扉を開けてみました。そのうち「壷の中の塩を飲むように」というところで、二人の紳士は震えだしました。食べにきたのでなく、食べられにきたことに気がついたからです。逃げようとしても扉は開きません。

奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのホークとナイフの形が切りだしてあって、
「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあおなかにおはいりください。」
と書いてありました。おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉(めだま)がこっちをのぞいています。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
 ふたりは泣き出しました。

その時、ふいに2匹の犬が飛びこんできて、むこうで「にゃーお」という悲鳴が聞えました。犬が山猫を追い出してくれたのでしょうか。こうして、二人は犬を連れた本物の猟師に助け出されたのでした。

賢治は、こんな童話を100編以上も残しましたが、生前は文壇と接触する機会がほとんどなかったため、人々に知られることはありませんでした。37歳の若さで亡くなった後、詩人の高村光太郎や草野心平、哲学者の谷川徹三らに注目されてから、広く世に知られるようになり、その真価が認められるようになったのです。

賢治の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「宮沢賢治」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。

また、賢治の作品のほとんどは「青空文庫」で読むことができます。

投稿日:2008年08月01日(金) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)