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南北朝時代の武将・新田義貞

今日7月2日は、鎌倉時代末期・南北朝時代に活躍した武将で、後に室町幕府を開いた足利尊氏と対立した新田義貞(にった よしさだ) が、1338年に亡くなった日です。

新田義貞は、鎌倉時代の終わりころから南北朝時代にかけて活躍した武将です。上野国(群馬県)新田で、源氏の一族として生まれました。同じころ、となりの下野国(栃木県)足利では、やはり源氏一族の足利高氏(尊氏)が生まれています。

新田氏も足利氏も、鎌倉幕府に仕える有力な御家人でした。しかし、足利氏が幕府の政治をつかさどる北条氏と親戚関係をむすんで、重要な職についていたのにくらべて、新田氏は幕府に冷たくあつかわれ、北条氏に不満をいだいていました。

1333年、義貞は、後醍醐(ごだいご)天皇に仕えて幕府にそむく楠木正成(くすのき まさしげ) を討ちに、幕府の命で河内国(大阪府)の千早城に向かいました。

ところが、戦のじょうずな正成の守りがかたいのを見た義貞は、病気といつわって、戦いの中途で新田へ帰ってしまいました。北条氏の命令どおりに動くよりも、世の中の動きをよく見つめて、自分にとくな行動をとることにしたのです。

「敵は、北条だ。幕府をたおしてしまえ」

同じ年の5月、義貞は兵をあげました。高氏が幕府に謀反をおこして天皇に味方するようになり、義貞にも 「幕府を討て」 という、天皇の命がとどいたのだろうといわれています。
 
義貞の軍は、鎌倉へ進むうちに味方がふえ、みるみる大軍になりました。しかし、鎌倉は三方が山にかこまれ、かんたんには攻め込めません。義貞は海岸ぞいに稲村ヶ崎から七里ヶ浜へ進み、海がわから、一気に攻めかかることにしました。このとき、海に刀を投げ入れて神に潮がひくのをねがい、味方の兵を勇気づけたと伝えられています。

義貞は、鎌倉に攻め入って北条氏の一族を討ち、幕府をたおしました。そして後醍醐天皇の新しい政治が始まると、その手がらによって、京都を守る武者所頭人(長官)に任じられました。

1335年、こんどは尊氏と戦うことになりました。鎌倉にもどっていた尊氏が、自分の力で新しい幕府をつくるために立ちあがったからです。義貞は、天皇の命で出陣しました。

義貞は、箱根での戦いには負けましたが、京都へ追ってきた尊氏を、遠い九州へ追いはらいました。ところが、つぎの年には、ふたたび京へ攻めのぼってきた尊氏の大軍に、生田ノ森(神戸市)の戦いでやぶれてしまいました。

義貞は、かならず、京へもどってくることを心に秘めて、越前国(福井県)へのがれました。しかし、その夢は果たせませんでした。尊氏に味方する斯波高経に敗れたのです。その後、征夷大将軍になった尊氏にくらべ、あまりにも非運な武将でした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 22巻「親鸞・日蓮・北条時宗」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年07月02日(水) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)