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貧しい人々の真実を描いた作家・ゴーリキー

今日6月18日は、「どん底」 「母」 などの作品を通し、貧しい人々の生活の中にある不安や、社会や政治の不正をあばくなど 「社会主義リアリズム」 という新しい道を切り開いたロシアの作家ゴーリキーが、1936年に亡くなった日です。

マクシム・ゴーリキーは、汗を流してはたらく貧しい人びとのことを考えつづけた、ロシアの作家です。

1868年に、ボルガ川中流の、ニージニー・ノブゴロドという町で生まれました。家具職人の父を4歳のときに亡くし、さらに7年ごには母も失ったため、小学校へもろくに行かないうちに、荒あらしい社会に、ひとりほうり出されてしまいました。

ごみすて場をあさるくず屋。くつ屋のこぞう。製図工の見習い。しばい小屋の下っぱ役者。パン焼き職人。

ゴーリキーは、大人にまじって、毎日ふらふらになるまではたらきました。なれない仕事で大やけどをしたり、主人に、背中がラクダのこぶのようにはれあがるほど、棒でなぐられたりしました。環境の暗さにおしつぶされ、ピストル自殺をくわだてたことさえありました。

しかし、どんなに苦しいときでも、ゴーリキーは読書を欠かさず、勉強をおこたりませんでした。そして、人間らしい生活をもとめて社会と闘う、心の強い労働者に成長していきました。

「苦労したことは宝だ。でも、この宝を、自分ひとりでしまいこんでいるだけではだめだ」

24歳のころから、ゴーリキーは小説を書き始めました。それまでの経験をいかして、自由がどんなにたいせつかを訴えたのです。作品は、まるで聖書のように、手から手へと読みつがれ、若い作家の名とともに広がっていきました。

仕事もなく、最低の毎日をやりすごす人たちの、みじめな運命を描いた 『どん底』 がモスクワ芸術座で上演されたときは、いつまでも拍手が鳴りやみませんでした。

ところが、おおくの労働者から尊敬されればされるほど、ゴーリキーは国にたてつく人間として、政府の役人からにらまれるようになってしまいました。しかし何度とらえられ、ろう獄に入れられても、ときには命を守るために外国へ逃げなければならなくなっても、国の権力にはけっして屈しませんでした。

ひとりの貧しい母親が、革命にめざめていくすがたを描いた 『母』 や、自分の生いたちを見つめた 『幼年時代』 などの作品を通して、はたらく人びとがしあわせにならなければならないことを、さけびつづけました。

1917年、皇帝の支配する政府がたおれて社会主義の国が建設されると、ゴーリキーは、若い作家を指導して新しい文化をつくるために活躍し、1936年に68歳で亡くなりました。古い考えの人たちの手で、殺されてしまったものだとも伝えられています。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 15巻「キュリー夫人・ライト兄弟・ガンジー」 の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年06月18日(水) 09:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)