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江戸時代の大事業家・河村瑞賢

今日6月16日は、江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した河村瑞賢(かわむら ずいけん) が、1699年に亡くなった日です。

江戸時代の初めに、才智と努力で大実業家になった河村瑞賢は、1618年に、伊勢国(三重県)の東宮村で生まれました。父母は、朝から晩まで泥まみれではたらく、貧しい農民でした。

瑞賢は、12歳のとき父のいいつけで、自分の力で身をたてるために江戸へでて、荷車引きになりました。しかし、20歳をすぎても一人前になることができず、こんどは上方(関西)へ行く決心をしました。ところが、小田原まできたとき、旅の僧に 「江戸でだめだったから上方へ行くという甘い考えはどうかな?」 と、さとされ、西へむかうのをやめました。そして、品川までもどってきたときのことです。

瑞賢は、海べに浮かんでいる、たくさんのナスやウリを見て思わず叫びました。

「お盆で仏さまに供えてあったものだな。そうだ、これを集めて、塩づけのつけ物にして売ればいいじゃないか」

つけ物売りは成功しました。そして、それからの瑞賢は、一歩一歩、大商人への階段を登り始めました。

1657年、江戸の町に、明暦の大火とよばれる、大火事が起こりました。するとこのとき、材木商人をしていた瑞賢は、自分の家も焼けたのもかまわずに木曾へ行き、たくさんの材木を買い集めました。焼け野原の江戸で材木はとぶように売れ、瑞賢は大金持ちになったばかりか、幕府の御用商人になることができました。

1670年、52歳の瑞賢は、幕府から、奥羽(東北地方)でとれた米を、安全に、しかも早く江戸にはこぶ仕事を命じられました。ほかの商人がはこぶと、船のそう難や、とちゅうの事故がおおく、それに月日がかかりすぎたからです。瑞賢は、安全な航路や、港や、天候をしらべました。しっかりした船を作り、うでのよい船乗りも集めました。そして、太平洋側の東まわりと日本海側の西まわりの、ふたつの航路で、ぶじに、山のような米をはこんでみせました。よく準備をして、よく考えた瑞賢の仕事は、たった1回のそう難もなく、大成功でした。

大商人になった瑞賢は、そののちは川や港の工事、鉱山の開発などにも力をつくして、ついには幕府から旗本にとりたてられ、1699年に、81歳でこの世を去りました。

商人として、また事業家として生きた瑞賢は、いっぽうでは学問をこのみ、たくわえたお金で、おおくの学者のせわをしました。朱子学者新井白石も、せわを受けたひとりでした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 26巻「新井白石・徳川吉宗・平賀源内」 の後半に収録されている7名の 「小伝」 から引用しました。近日中に、300余名の 「小伝」 を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年06月16日(月) 09:21

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)