今日6月6日は、明治・大正期に活躍した日本の児童文学の草分けとなった作家 巌谷小波(いわや さざなみ) が、1870年に生まれた日です。
小波の父親巌谷一六は、近江藩医の家系、明治政府の高級官僚から貴族院議員にまでなった人で、書家としても著名でした。小波の少年時代は、何の不自由のない裕福な家庭でそだてられました。でも、父親は小波を医者にしたいと考えていましたが、中学、高校と進むうち、文学の道にすすみたいと考えるようになりました。そして、20歳になると、周囲の反対を押しきって、硯友社という尾崎紅葉らの文学結社の同人になりました。
大人向の作品を書きましたが、やがて子ども向けの作品を書くようになり、1891年に発表した 「黄金(こがね)丸」 が大評判になりました。ストーリーは次のようなものです。
黄金丸という小犬がいました。お父さんはトラとキツネに殺され、お母さんも、悲しみのうちに死んでしまいました。小犬ではあっも、黄金丸は、親のかたきをうとうと決心しました。さまざまな苦心の上、ある猟犬の助けをうけて、ついにトラとキツネを退治しました……。
小波は、この作品で作家的な地位を確立し、さらに 「きのこ太夫」 などつぎつぎと作品を発表していきました。博文館という出版社に入った小波は、雑誌 「少年世界」 「少女世界」 「幼年画報」 などの主筆となって、「日本昔噺」(24巻)、「世界昔噺」(100巻) ほか、再話や翻案を含むぼう大な著作を残しました。有名な 「桃太郎」 や 「花咲爺」 などの民話の多くが、小波によって再生されたといってもよいほどです。今日の視点から見ると、少しどろくささが残る感がありますが、そのスケールの大きさは比類がなく、日本の児童文学の開拓者といっても過言ではありません。
小波は、今でも歌われることのある文部省唱歌 「はなさかじじい」 や 「金太郎」 などの作詞をしたことでも知られています。