今日5月12日は、看護師の社会的地位の向上に大きな貢献をし、「愛の天使」 と賞讃されたナイチンゲールが1820年に誕生した日であり、国際的にも 「ナイチンゲール・デー」 と制定されています。1991年から日本でも、「看護の日」 とされました。
ナイチンゲールの両親はイギリスの名門貴族で、ナイチンゲールは両親のイタリア旅行中、フィレンツェに生まれました。大金持ちの家で育てられたため、ナイチンゲールは子どもの頃から、何不自由のない暮らしをしていました。でも、自分より貧しい生活をしている人を見るたびに、世の中にはどうして金持ちと貧乏な人がいるのだろうと、疑問を持ちはじめました。やがて成人すると、両親の反対をおしきって看護婦になりました。当時、看護婦というのは、働くところのない女の人が、しかたなくやる仕事だったからです。看護師の仕事の大切さを深く理解していたナイチンゲールは、夢中で働き続け、ロンドンの病院の看護婦長にまでなりました。
1857年に 「クリミア戦争」 がおこりました。この戦争はロシアと、イギリス・トルコ・フランスの連合国がはじめた戦いでした。はげしい戦争で、たくさんの兵隊が死にました。ケガ人もたくさんいるのに、医者や看護する人もなく、包帯も薬もないために、助かる人もどんどん死んでいくという新聞記事が載りました。これを読んだナイチンゲールは、大臣に手紙を書き、受け入れられて、志願してきた人の中から38人の女性を選んで、戦場におもむきました。粗末な設備の病院で、夜寝る間もおしんで懸命に働くナイチンゲールと看護婦たち。献身的な働きは高く評価されて、ナイチンゲールは 「クリミアの天使」 といってほめたたえられました。
いずみ書房のホームページ・オンラインブックでは 「せかい伝記図書館」 を公開中です。約100人の伝記のうちのひとりとして 「ナイチンゲール」 の生涯を詳しく紹介していますので、ぜひご覧ください。なお、ここでは、ナイチンゲールを看護婦としていますが、今では 「看護師」 という呼び名が使われています。2002年3月以前は、女性の看護師を 「看護婦」、男性看護師を 「看護士」 としていたことをおことわりします。