今日5月8日は、スイスの社会事業家で、戦争で傷ついた兵士を救うための団体をつくることを提唱し、国際赤十字の創設に結びつけたデュナンが、1828年に生まれた日であり、1864年国際赤十字が誕生した日でもあります。
北イタリアを占領していたオーストリア軍。その北イタリアを取りもどそうとする、サルディニア軍とナポレオン3世がひきいるフランス軍との連合軍。1859年6月24日、両軍あわせて32万の兵隊が、ソルフェリノの丘で死にものぐるいの戦いをくりひろげました。そして、15時間つづいた戦いが終わったとき、丘は、およそ4万人もの死傷者でうまっていました。
ところが、銃声がやんでまもなくのことです。軍人でもないひとりの男が現れ、近くにいた婦人や子どもを集めて、死傷者の収容と看護を始めました。
「敵も味方もない。みんな同じ人間だ。みんなを助けるのだ」
男は、こう叫ぶと、すべての死傷者に、あたたかい手をさしのべました。スイスからナポレオンに会いにきて、この戦いにでくわし、あまりのむごたらしさに、いきどおりをおさえきれず、血にそまった丘にとびだしたのです。
この男は、30歳の若い実業家アンリ・デュナンでした。
「戦争で傷ついた人を、敵も味方も区別なく看護する救護隊を、ふだんからつくっておかなければだめだ」
デュナンは、スイスへもどると 『ソルフェリノの思い出』 という本を書き、救護隊のたいせつなことを世界に訴えました。すると、ヨーロッパの国ぐにの皇帝、大臣、文学者から、賛成の手紙が寄せられました。クリミア戦争で看護婦として活やくしたナイチンゲールからも、はげましの声がとどきました。
1863年、デュナンの叫びは実をむすびました。
「それぞれの国に救護隊をつくる。救護隊は、どこの国の傷病者でも手当てをする。救護にあたる人や病院は、つねに中立であり、そのしるしとして、赤い十字を使おう」
ヨーロッパの国ぐにの代表がジュネーブに集まって、このようなことを決めたのです。そして、つぎの年にジュネーブ条約がむすばれ、国際赤十字が誕生しました。
スイスのジュネーブに生まれ、信仰ぶかい母に育てられたデュナンは、若いときから、不幸な人や貧しい人に手をさしのべる、やさしい心をもっていました。
国際赤十字をつくってからも、自分のすべての財産を投げだして慈善事業に力をつくしました。また、人種差別に反対して黒人どれいの解放も叫びつづけ、1901年に、世界最初のノーベル平和賞を受賞しました。白地に赤十字のしるしは、デュナンの名誉をたたえて、スイス国旗の赤地に白十字の色を逆にしたものです。
なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)12巻「ファーブル・トルストイ・ロダン」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。