今日4月7日は、流れ作業による自動車の大量生産を成功させ、世界一の自動車会社を創立したフォードが、1947年に亡くなった日です。
「蒸気は、とじこめられてしまうと、どうなるのだろう」
少年は、土びんに水を入れてふたをしばりつけ、口にはしっかりせんをして、火にかけました。まもなく、水がふっとうしたと思うと、大きな音とともに土びんがはれつして、蒸気がふきだしました。少年は、頭にけがをしてしまいましたが、蒸気には強い力があることを、自分の目で確かめました。この少年こそ、のちにアメリカの自動車王といわれるようになった、ヘンリー・フォードです。
1863年にアメリカのミシガン州の農家に生まれたフォードは、少年時代から機械いじりが大すきでした。失敗をくりかえしながら、さまざまな実験をかさね、13歳のころには、町じゅうのこわれた時計をなおしてしまったほどでした。
「どんなことがあっても、ぼくは機械技術者になりたい」
16歳のとき、こっそり家を出てデトロイトの町へ行き、エンジン工場ではたらき始めました。ところが5年ご、父が病気でたおれてしまいました。家にもどったフォードは、畑ではたらくことになりました。しかし、どうしてもエンジンのことが忘れられません。やがて、畑を耕す車に蒸気エンジンをつけた「馬のない馬車」を考えたりして、実験にとりくむようになりました。
「やっぱり、わたしが生きるところは、デトロイトしかない」
28歳になったフォードは、農場を人に貸して、ふたたび家をとびだしました。そして、エジソンの電燈会社に勤めながら、ガソリン自動車の研究に没頭し、3年ごには、ひとりでつくった「馬のない馬車」を、ヨタヨタと走らせるのに成功しました。
やがて自分の工場を建てたフォードは、できるだけ安く、たくさんの車を生産しようと考えました。そして1913年に開始したのが、5000以上もの部品をコンベアにのせて流しながら、ずらりとならんだ労働者が、じゅんじゅんに自動車をくみたてていく、という方法でした。
「大成功だ。これで自動車が町にあふれるようになるぞ」
限られたわずかな人たちの乗り物だった自動車は、大量生産することによって、たくさんの人が手軽に手に入れられるようになったのです。
自動車の生産で名をあげ、たちまち大事業家となったフォードは、1947年、自動車王とよばれた輝かしい生涯を閉じました。若者たちに残した「将来にむかって生きよ」という言葉は、フォード自身が、終生つらぬいた信念ともいえます。
この文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)14巻「エジソン・ゴッホ・シートン」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。