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同志社大学をたてた人・新島襄

今日1月23日は、明治の初期、教育者・宗教家として活躍した新島襄(にいじま じょう)が、1890年に47歳で亡くなった日です。

新島襄は、文明開化のためにはキリスト教精神を広めることが大切であると、同志社を設立して、徳富蘇峰、安部磯雄らたくさんの人材を育てた教育者として知られています。

襄は1843年、上野国(群馬県)安中藩の江戸屋敷で、武士の子として生まれ、幼名を七五三太(しめた)といいました。(襄が生まれたとき、祖父がうれしさのあまり 「しめた、しめた」 と叫んだのでこのおめでたい名がついたということです。というのも、新島家には4人の子がいましたが、みんな女の子ばかりで、男の子は襄がはじめてだったからです)

祖父は時代の流れをしっかりみきわめる進歩的な考えの人でした。その祖父のえいきょうをうけて、少年のころは蘭学を学びましたが、開国をきっかけにして、洋学の主流は英学になっているのを感じとり、英学に転じました。そして、函館に出て英語を学ぶうち、西洋文明を自分の目で確かめたいと思い始めました。

1864年、21歳の襄は、いだきつづけた海外渡航の夢をふくらませて、友人の手引と船長の理解でアメリカ船ベルリン号にのりこみました。

日本は開国はしていたものの、海外への渡航は禁じていたので、なかば死を覚悟の密出国でした。まず上海に渡り、ワイルド・ロバート号へのりかえて翌年ボストンへ着きました。襄は船の中で親しみをこめてジョーと呼ばれたため、それから自分の名に襄という字をあてたということです。

ボストンでの襄は、船主のハーディ夫妻のたすけをうけ、学校へ通って聖書の研究に熱中しました。やがてキリスト教の洗礼を受け、キリスト教に自分の一生をささげる決意をしました。

アメリカに渡って3年目、襄は日本が明治の時代になったことを知りました。26歳でした。それから数年ご、明治新政府の役人たちが外国の進んだ政治や文化を学ぶためにアメリカにもやってきました。案内役をたのまれた襄は、ヨーロッパ諸国をまわりましたが、このとき木戸孝允や田中不二麿ら政府の要人に人物の優秀さを見こまれました。

1874年襄は、3000人のアメリカ伝道協会の会衆の前で、日本にキリスト教の大学を設立するための協力をうったえ、多くの寄付を集めました。そして、その年の秋、襄は10年ぶりに日本の土をふみしめました。

帰国当初、襄の考えはうけ入れてもらえませんでした。特に寺や神社からは、強い反発がありました。それでも襄の熱意と、木戸孝允や田中不二麿らの助力もあって、帰国後1年で 「同志社英学校」 をたてることができました。

やがて、キリスト教精神と自由主義を学んだ卒業生は、社会の各方面で活躍し、同志社の名は広く知れわたりました。襄は、47歳で亡くなる直前まで、教育と伝道に情熱をかたむけつづけました。同志社が大学となったのは、死後21年目でした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)32巻「伊藤博文・田中正造・北里柴三郎」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年01月23日(水) 18:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)