児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  武家の歴史 「日本外史」 を著した頼山陽

武家の歴史 「日本外史」 を著した頼山陽

今日12月27日は、江戸時代の後期、第11代将軍徳川家斉が幕府をおさめていたころの学者・歴史家として、源平時代から徳川にいたる武家700年の歴史を綴った 「日本外史」 を著し、詩人・書家としても活躍した頼山陽が、1780年に生まれた日です。

山陽は、大坂(大阪)で生まれ、安芸国(広島県)で少年時代をすごしました。父も祖父も伯父も学問をこのみ、母も、文芸にしたしむ人でした。このめぐまれた環境に育った山陽は、幼いころから自然に学問に魅せられていきました。15歳をすぎたころには、すでに、平氏、源氏から徳川氏までの武家の流れをたどる『日本外史』を著わす考えを、まとめていたといわれます。

17歳のとき江戸へでて、幕府が建てた学問所の、昌平黌へ入りました。でも、わずか1年で安芸の両親のもとへ帰ってくると、およそ2年ごには家のあとをつぐ権利をうばわれて、家に閉じこめられてしまいました。京都や大坂へ行って気ままに暮らし、家がつかえてきた広島藩をかってにしりぞいて、脱藩の罪をおかしてしまったからです。

家の門を自由にでることをゆるされたのは、25歳のころだったと伝えられています。でも長いあいだ家に足をとめられたことは、学者としての山陽には、かえってよかったのかもしれません。そのあいだに『日本外史』の筆を起こして、26歳のころには全部で22巻の下書きを終えてしまいました。

そののち山陽は、父のせわで塾の先生をつとめましたが、数年ごには、そのまま田舎にうずもれてしまうのをきらって都へのぼり、京都へ住みつきました。そして、自分の塾を開き、ひまをみつけては各地へ旅をしました。親孝行の心が深かった山陽は、父と母のいる安芸へも、なんども帰り、さらに遠い九州へも足をのばして、旅のとちゅうで『天草洋に泊す』などの名詩をたくさん作りました。

山陽の名が、ほんとうに広まったのは、40歳をすぎてからでした。46歳のときに、20数年かけて完成させた『日本外史』を江戸幕府の松平定信に献上すると、国じゅうの学者との交わりがふえて名があがり、広く尊敬されるようになったのです。とくに、正義をつらぬいた大塩平八郎とは深くまじわり、平八郎が著わす本に文をそえる約束もしました。でもこれは、自分の死で果たせませんでした。

山陽は、そのご、さらに歴史上のできごとを年代順にまとめる『日本政記』を書きすすめながら、いっぽうでは、書、絵、茶などを愛する心豊かな生活を送り、1832年、学問に生きた生涯を52歳で終えました。1858年に起こった安政の大獄で、吉田松蔭とともに首をはねられた頼三樹三郎は、山陽の3男です。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)29巻「小林一茶・間宮林蔵・二宮尊徳」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年12月27日(木) 09:47

 <  前の記事 心のこもった語りかけは、100回の 「ダメ」 に勝る  |  トップページ  |  次の記事 出かせぎ下男とおかしな約束  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/1158

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)