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ライト兄弟の飛行機、世界初の飛行に成功

12月17日は、アメリカのライト兄弟が1903年、動力をつけた飛行機で、人類がはじめて空をとんだ記念すべき日です。

ライト兄弟の兄はウィルバー、4歳下の弟はオービルといい、アメリカのオハイオ州デートンに生まれ育ちました。キリスト教の巡回牧師の父は、科学にも関心が深く、機械を作ることにも才能があって、自分でタイプライターを発明するほどだったといいます。その影響を受けて、ふたりとも幼いころから機械いじりがすきでした。やがて成人したふたりは、新式の自転車の製造と修繕の店をデートンの町につくりました。スポーツ万能のオービルは、町の自転車競走で、自分のこしらえた自転車で優勝したため、兄弟の店はたちまち評判になりました。

当時、欧米には空を飛ぶという夢に挑戦している人たちがたくさんいました。ドイツのリリエンタールもその一人でした。鳥が翼を広げて空中をすべるように、リリエンタールはグライダーに乗り、気流をうまく利用して大空を飛びました。1891年から2000回以上も実験をくりかえして350mも飛べるまでになりましたが、5年後に墜落して死亡しました。「何ごとも、犠牲者がなければ成功しない」という言葉を残して……。

リリエンタールのことが書かれた雑誌の記事を読んだり、シャヌートという人の著した「航空機の発達」などをよみあさったライト兄弟は、自転車のことより、空を飛ぶという夢を持ちはじめ、自転車店でもうけた資金を飛行機の研究に費やしました。

たくさんの実験を積み重ねた結果、ついにウィルバーの乗ったライト兄弟のこしらえた飛行機は、1903年12月17日午前10時、12秒間空中を飛び、安全に着陸させました。この日、この人類の偉業を見ていたのは、兄弟を含めわずか5人にすぎませんでした。
「ライト兄弟」の詳しい伝記につきましては、いずみ書房のホームページの「オンラインブック・せかい伝記図書館」で公開していますので、ぜひアクセスしてみてください。

さて、ライト兄弟がはじめて空を飛んでから、わずか100年少ししかたっていません。航空機の歴史は、ロケットのぞけば、ライト兄弟の考案した翼と動力の改良の歴史といっても過言ではないでしょう。この両者の改良なしに、飛行距離の長足化も、大型化も、スピード化も、快適化もあり得なかったからです。

なお最近、欧州のエアバス社が実用化した「A380」は、総2階建て、主翼の幅80m、555人を乗せる飛行機で、床下フロアには、休憩所やバーなど、乗客が楽しめるスペースのある、まさに「空飛ぶホテル」といってもよいものだそうです。人間の知恵のたくましさには、計り知れないものがありますが、平和利用にだけ使ってほしいと願うばかりです。

投稿日:2007年12月17日(月) 11:22

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コメント (1)

陶増煒:

世界もっつと古いの飛行機は奇肱国の飛車です。その飛車は1,500BC頃に今の重慶から河南省の鄭州まで飛んでいました。全程が1,000kmです。この事件はいろいろな中囯古いの本に記載した。人類最初使用していましたの飛行機が定翼機ではなく、旋翼機です。この旋翼機は実が一つの竹蜻蛉です。この旋翼飛行機の結構は、400AC頃にの中囯古いの本にも記載した。その度の航行が実は季風及び太風の連合作用の結果です。ある人がその結構の図面は欲しいのは、emailで 作者を索取しています。

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)