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ノーベル賞の授賞式

今日12月10日は、ダイナマイトを発明したものの、戦争に使われることに心をいためたスウェーデンの化学技術者ノーベルが、1896年に亡くなった日です。

ノーベルは、1832年にスウェーデンの首都ストックホルムに生まれました。父親は建築家でしたが、発明家でもあり、火薬の研究もしていたため、やがてノーベルもその仕事の手伝いをするようになりました。その頃、ニトログリセリンという、ものすごい爆発力のある液体の薬品がありました。イタリア人の発明によるものでしたが、あまりに危険なため、実用化ができないと思われていました。

ノーベルは、この薬品は必ず実用化ができるはずだという信念をもち、工場を作って実験をくりかえしました。そんなある日、工場が爆発し、弟をはじめ5人の仲間が死んでしまったのです。でもノーベルはへこたれず、ふとしたことから、ニトログリセリンに何かをまぜて固体にすれば危険がなくなることに気がつき、それから数か月の後、ねん土に似たケイ藻土にしみこませる方法を発見したのです。それが「ダイナマイト」でした。

この発明は画期的なものでした。このおかげで、岩だらけの海岸に港を築いたり、運河を作ったり、硬い山にトンネルを掘ったり、これまで考えられなかった大工事を可能にさせたのです。そして、鉱山には欠かせないものになっていきました。

ところが、あまりに強烈な爆発力をもっているために、これが戦争でも使われ始め、はげしい殺傷力を示しはじめました。「ダイナマイト」は引っ張りだこになって、ノーベルはたちまち大富豪になりました。でも、これはうれしい反面、心が痛むことでもありました。

「人間のためになると思って苦労して発明したものが、人々を不幸にしている」

そう気づいたノーベルは、死ぬ前に遺言を書きました。「財産をスウェーデン科学学士院に寄付するから、そのお金の利子を人類の平和と進歩のためにつくした人に賞として贈ってほしい」。こうしてノーベルの死後5年後から、遺志にしたがって、ノーベル賞を贈ることがはじまりました。そして、命日である12月10日が授賞式になりました。

現在、ノーベル賞は「物理学」「化学」「生理学・医学」「文学」「平和」「経済学」の6部門からなり、それぞれが世界的な権威を持った賞として人々に尊敬されています。特に、「物理学」「化学」「生理学・医学」の自然科学の賞は、科学分野における世界最大の栄誉であると考えられています。

日本人の自然科学の分野での受賞者は、1949年の湯川秀樹(物理学)、1965年朝永振一郎(物理学)、1973年江崎玲於奈(物理学)、1981年福井謙(化学)、1987年利根川進(生理学・医学)、2000年白川秀樹(化学)、2001年野依良治(化学)、2002年小柴昌俊(物理学)、田中耕一郎(化学)と、これまで9名が受賞しています。

なお、いずみ書房のホームページのオンラインブック「せかい伝記図書館」コーナーでは、およそ100名の伝記を公開中です。「ノーベル」の伝記も公開していますので、ぜひご覧になってください。

投稿日:2007年12月10日(月) 11:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)