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国民的小説家・吉川英治

今日9月7日は、「宮本武蔵」「新・平家物語」「新書太閤記」など人生を深く見つめる大衆文芸作品を数多く生み出して、国民的作家として高く評価されている吉川英治が、1962年に亡くなった日です。

『鳴門秘帖』や『宮本武蔵』は、今も若い人から老人まで、はば広い人気があります。その作者吉川英治は、1892年神奈川県に生まれました。父は会社を経営していたので、小さいときには家も豊かでしたが、英治が11歳のとき、父は事業に失敗しました。ある日、学校から帰ってきた英治に、父が言いました。

「もうこんな大きな家に住めなくなった。おまえは長男だから、1ばん先にはたらきにゆけ、いいな」

「はい」と答えたものの、英治は悲しくて大声で泣きだしてしまいました。

それからの英治は、家の生活を助けるためにいろいろな職業につきました。印章店の小僧、少年活版工、税務監督局の給仕、雑貨商の店員、横浜ドックの工員などです。それでも家の生活は苦しく、何も食べない日さえありました。ドックの工員もほんとうは20歳以上というきまりでしたが、18歳の英治は20歳とうそを言って入ったのです。ドックの仕事はつらく危険なものでした。それでも、気のいい親切な仲間のあいだで英治はがんばりました。

しかし、船腹にペンキをぬっていたある日、乗っていた板もろとも12メートルの高さから、ドックの底につい落してしまいました。気がついたのは病院のベッドの上です。

幸い命はとりとめ、退院の日もあと数日となりました。

「英ちゃん、長いあいだよくはたらいてくれたね。もう、おまえは、自分の道を進まなければ……」

母は英治が東京へ出たいと思っているの知っていたのです。

19歳で上京した英治は、細工師の仕事を学びながら、小説を書くようになりました。そして講談社のけん賞小説に3編が同時に当選するというような才能を示しました。それから次つぎと書いた小説によって、英治は大衆小説の花形作家として認められるようになりました。

『宮本武蔵』『新書太閤記』『新・平家物語』が吉川英治の代表作です。少年少女のための小説としては、『神州天馬侠』『天平童子』などがあります。とくに、人生のさまざまな苦難をきりひらき、ひとすじに剣のみちにはげむ青年武蔵の姿をえがいた『宮本武蔵』はくりかえし映画や劇にもなっています。それは、宮本武蔵が遠い歴史上の人物であっても、現代に生きる人びとの心につよい共感をあたえるからにほかなりません。

吉川英治は68歳のとき、文化勲章をうけ、その2年ごにこの世を去りました。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)36巻「宮沢賢治・湯川秀樹」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年09月07日(金) 09:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)