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世界的浮世絵師・安藤広重

今日9月6日は、「東海道五十三次」などの風景版画の傑作を生み、フランス印象派の画家やゴッホ(広重の作品を3点以上模写)、ホイッスラーらに大きな影響を与えた、安藤(歌川)広重が1858年に亡くなった日です。

安藤広重は、江戸時代の末期に活躍した浮世絵師です。四季おりおりの風景を心から愛し、ここに住む農民や町人のくらしぶりをありのままに表現しました。数かずのすぐれた風景版画はたくさんの人びとに親しまれ、世界にも広く知られています。

広重は幼名を徳太郎といい、1797年、江戸(東京)の下町に生まれました。安藤家は代だい、定火消同心という、江戸城や町内の消防を家業にしてきました。小さいときから絵が大すきで、14歳になると、浮世絵師の歌川豊広を訪ねて弟子入りしました。将来はりっぱな絵師になるつもりだったからです。豊広は、少年徳太郎が並外れた才能の持ち主であることを見ぬき、自分の名前の1字をとって、広重と名のらせることにしました。

広重は、はじめ役者絵や美人画などをかいていましたが、狩野派の絵や水墨画の画法、西洋画の遠近法などを勉強しているうちに、やがて風景画の力をいれるようになりました。

広重が34歳のころです。葛飾北斎の『富嶽三十六景』が大評判となりました。広重はこの絵に強いしょうげきを受けました。大胆な構図と独特の色の使い方で、風景をみごとにえがいていたからです。

その広重にも、まもなく名声をあげる機会がおとずれました。江戸から京都までの東海道を往復することになり、このときのスケッチをもとに『東海道五十三次』を発表したのです。東海道にある53の宿場に、日本橋と京都三条大橋を加えた55枚のつづき絵でした。夕ぐれ近く宿場をめざして道をいそぐ旅人の姿、風呂からあがったばかりの旅人が2階の手すりにもたれてすずんでいる風景、道をゆく飛脚や馬をひく馬子たち、雪げしきや富士山の美しいながめ、黄いろい稲の穂波……。次つぎと移りかわる土地の風景を、きめこまかく描いた風景版画は、たちまち江戸の町で評判になりました。こうして、版画とともに、無名だった広重の名はいちどに広まったのです。

広重は、そのごも各地に旅をして『近江八景』『京都名所』『金沢八景』『木曾街道六十九次』などの名作をのこしました。特に自分の生まれた江戸の風景はおおく『東都名所』『江戸近郊八景』『名所江戸百景』など100種類以上もあります。江戸の町とそこに住む人びとの生活、そして旅を愛した広重は、61歳で亡くなるまで絵をかきつづけました。

広重の絵は、北斎の絵とともに、ホイッスラーをはじめフランスの画家たちに大きな影響を与えています。町人の絵として評価の低かった浮世絵に高い価値を認めたのは、西洋人でした。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)30巻「渡辺崋山・勝海舟・西郷隆盛」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年09月06日(木) 09:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)