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シーボルトが国外追放を申し渡された日

今日9月25日は、江戸後期に長崎のオランダ商館つき医師として来日したシーボルトが、すぐれた西洋医学を広めるも帰国の際に禁じられたた日本地図などを持ち去ろうとしたことで、1829年、江戸幕府から国外追放を申し渡された日です。

シーボルトは、1796年南ドイツにあるビュルツブルクの外科医の名家に生まれ、その地の大学に学びました。医学ばかりでなく、自然科学、博物学などさまざまな学問に興味を持ち、1822年にオランダ東インド会社の外科軍医に任命されて、ジャワ勤務ののち、長崎の出島商館の医師として働くことになりました。まだ、27歳の時です。

当時、鎖国を守る江戸幕府は、外国人はオランダ人のほかは認めず、長崎の出島だけに限っていました。しかし、シーボルトの医術の高さが評判になると、長崎奉行が幕府に願い出て館外にもでられるようになり、やがて長崎郊外の鳴滝に日本人名義で土地と家屋を買い取り、そこを校舎兼診療所にして、講義と治療をするようになりました。これが名高い「鳴滝塾」で、海外の知識に飢えていた青年たちは、こぞって長崎に集まり、シーボルト先生に教えを受けにはせ参じました。たくさんの門人の中に、後に開国論者として蛮社の獄に倒れた高野長英や、小関三英、伊藤玄朴といった人たちがいました。好奇心の旺盛なシーボルトは、日本の地理や歴史、風俗や習慣、動植物の生態などにも興味を示し、シーボルトを慕う門人たちはこぞって研究資料を提供しました。

1826年、シーボルトは将軍徳川家斉に会見する長崎商館長にしたがって、江戸へ出ました。この旅行はシーボルトにとって、日本の各地を広く見学できるだけでなく、日本の自然や人文を実際に研究できるよい機会でした。江戸に3か月、京都と大坂(大阪)に数日とどまっている間に、蘭学者ばかりでなく、オランダや西洋に関心を持つ人たちと親しく会見し、見聞を深めました。とくに幕府の天文方を勤める高橋景保は、熱心にシーボルトのもとに通って、シーボルトの持っている本と伊能忠敬の作った地図などと交換しました。しかし、これが事件の原因になってしまったのです。

1828年8月、シーボルトは任期を終え、帰国間近になったとき、いわゆる「シーボルト事件」が突然おこりました。高橋がシーボルトに、大切な地図などを贈ったことを知った幕府は、江戸と長崎で、関係した幕府の役人や門人数十人をとらえて厳しく罰し、高橋は、牢の中で病死しました。シーボルトは帰国も延ばされ、1年間出島に閉じこめられた上、厳しい取調べをうけました。せっかく集めた研究資料の数々もとりあげられ、提供した門人や知人も獄に入れられたり苦しむ姿を見て、自殺をしかけたともいわれています。

帰国したシーボルトは、大著「日本」をはじめ「日本植物誌」「日本動物誌」などの本を著し、いずれも当時の日本の姿をしっかり記述した書としてヨーロッパの人たちの評価は高く、とくに日本にすぐれた地図があることに驚きました。世界地図の中に「間宮海峡」の名を残したのも、シーボルトだということです。

投稿日:2007年09月25日(火) 09:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)